書評暗黒話

 まだ大阪にいた、確か1998年のことである。広島に本拠地のあるさる地方新聞から書評を頼まれた。ところがその本が、その地方新聞に連載されたものを纏めたもので、しかもその書いたご当人からの依頼だったので、私もさすがに変だなあ、とは思ったものの、まあ思ったとおり書けばいいや、と思って引き受けた。
 ところが原稿を送ってほどなくそのお方から電話があり、受け取りました、と言う。そして、
「ざっくばらんに言ってですね」
 と言う。
「これだと、どうもその、一部の読者にしか関心を持ってもらえないのではないかと、そう思いまして」
 と言うのである。
 私は「広告」を書けと言われたのではない。書評を書いたのである。しかしその頃は私も、ジャーナリズムの中にはとんでもない連中がうようよいることを知らなかったので、ややむっとしながらも、じゃあそちらでいいように書き直して下さい、と言ったのだが、いま思うと、何ともはや、厚顔無恥な記者である。自分が書いた本の「書評」を「もっと褒めてくれ」と要求しておいて恬として恥じないのだから。しかもその「ざっくばらん」の口調たるや、まるで私が書評界の仁義を知らないみたいな言い方だった。
 もっともこのご仁は、その後、かなり神経のイカれたお方らしいと分かったのだが、というのは別件で電話で話していて、シナ人がいつまでも日本人の侵略を憎んでいるのに日本人は米国の原爆投下に寛大なのはなぜか、という話になり、私は、そりゃあ日米安保があるからだろう、と言ったのだが、そのご仁、「いや、広島の人々はアメリカを許していますよ」と言ってから、こう言ったのである。
「日本人は、やり方が下手ですよねえ。目の前で殺すからいつまでも憎まれるんですよ。アメリカみたいに上の方から原爆落としてれば、相手が見えないからそんなに憎まれずに済むんです」。
 キチガイ