清水冠者とマゾッホ

 木曾義仲の嫡男で頼朝のもとへ人質として出され、大姫の許婚になったが、木曾討伐の後討たれた清水冠者は、義高とか義重とかさまざまに呼ばれているが、『平家物語』の、日本古典文学大系、日本古典文学全集には、「『尊卑文脈』によれば今井兼平の娘」などと書いてある。新大系、新編全集も同じ。だが兼平は義仲の乳母子でほぼ同年代、三十三くらいで二人とも死んでいて、清水冠者は十歳くらいなのだから、そんなことあるはずがないのだ。『新潮日本古典集成』だけは、中原兼遠の娘、今井兼平の妹と書いている。さすが水原一。巴御前の子というのは俗説ともある。しかし、となると義仲は兼遠の娘を二人まで妻か妾にしていたことになる。どうもこの辺、歴史学者の論文が見つからないので、歴史学者に問い合わせたが、分からなかった。松本利昭『木曾義仲』(光文社時代小説文庫)あたりがいちばんよく調べているようだ。

 種村季弘ザッヘル=マゾッホの世界』(平凡社ライブラリー)を遅蒔きながら読んでいる。すると、ドゥルーズの『ザッヘル・マゾッホ紹介』は触れられていて引用もあり、巻末には文献案内もあるのに、蓮實重彦訳『マゾッホとサド』がまったく触れられていないのに気づいた。種村先生は蓮實先生嫌いだったのかな。まあ蓮實先生は澁澤龍彦嫌いだろうとは思っていたけど。
 しかしそもそもマゾッホの小説なんて、ドイツでも読まれておらず、せいぜいドゥルーズが『毛皮を着たヴィーナス』の紹介を兼ねてこれを書いてから、ドイツや米国でもとりあえず流通するようになったわけで、『マゾッホ選集』などが出ていた日本が特殊であってそれは種村先生のためで、しかしかつて『毛皮を着たヴィーナス』を読んだらえらくつまらなくて、所詮マゾッホは作家としては三流だろう、と確認した。サドだって一流ではあるまい。