瀬々敦子さんのこと

 瀬々敦子さんは、私の東大文三・四組の一つ上のひとである。入学前にクラスのオリエンテーション合宿があった時、夜、例によって旅館の一室で数人が集まって話している中心に、瀬々さんがいた。ややふっくらした体つきで、美人ではなかったが、顔の形や目鼻の位置はよく、ただとても寂しそうな顔だちのひとだった。
 そこでは、いわゆる政治的な議論のようなものが行われていて、私が入っていくと、同期のS(現慶大教授)が「くだらない話だよ」と囁いて出て行った。それでも座って聞いていると、天皇制は是か非か、差別語の言い換えは、などという話で、私が、天皇制は上への差別だ、と言うと瀬々さんが「上への差別って、いい言葉よね」と寂しそうに言ったのを覚えている。
 その後、留年していた先輩が「瀬々さんは貧乏人の生まれだから」などとひどいことを言うのも聞いたが、高校は筑波大附属だった。
 私が『もてない男』を出した時、瀬々さんからメールが来た。ただ、あちらは私のことは覚えていないように思えた。そこには、男は自分より高学歴の女との結婚を嫌がる、とあなたは書いていますが、私の夫はそんなことは気にせず結婚してくれました。夫は京大卒です、と書いてあって、呆れた。
 そのことは『恋愛の超克』に書いたのだが、ふと先日、その『恋愛の超克』を読んで、恋愛弱者救済を唱えつつ自分は美人が好きだなどと言うのは矛盾ではないか、と書いているブログを見つけた。私は恋愛弱者救済などと言っていない。そのことは『恋愛の超克』ではむしろ強調されているのだ。
 そこでコメントをしようとしたら、コメント欄がない。メールしようとしたらそれもできない。地方の法科大学院助教授の女性とあった。あちこち見ていたら、瀬々さんだった。
 昨年あたり「AEAR」が東大卒女性の記事を組んだ時、まっさきに取り上げられていたのが瀬々さんだった。銀行員を経て、夫の赴任先である香港へ行き、今は信州大学に単身赴任と、見ようによっては華麗な人生が描かれていたが、それが瀬々さんだと思うと、華麗には思えなかった。
 ところがそのブログは、昨年十月、夫が腫瘍の摘出を行うが、それが悪性かどうかはまだ分からない、というところでぷっつり途絶えている。悪い状態を想像せずにはいられない。しかも瀬々さんは、自分の不運がこんな病気を引き出したのではないかと不合理なことを書いているが、瀬々さんが書くと実感がある。
 東大OBネットにも瀬々さんはいるのだが、三島由紀夫が好きで、文藝評論家を目指して文三に入ったが、才能がないのに気づいて法律を学んだ、とある。なんだか、瀬々さんのその後が気になってならない。

 http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/

参考:東京都葛飾区の会社員瀬々敦子さん(38)は、初めてのデートから今日に至るまで、すべての費用を1円単位で割り勘にしている。自分と夫がそれぞれが立て替えた分のレシートを持ち寄り、2週間に一度、ノートに書き出して、同額になるよう精算をしている。ノートは5冊になった。クリスマスのプレゼント交換も、互いの値段を申告して差額を図書券で精算しているという。(朝日新聞、2001.03.04)

 ところでもう一つ、よく誤読される例があって、『バカのための読書術』で、私は怠惰には厳しい、と書いているのをとらえて、もてるよう努力しない怠惰はなぜいいのか、というものだ。これは、抽象的な議論が苦手、という人には同情するが、歴史上のあれこれの事実というのは本を読めばだいたいは分かるものだから、そういう勉強をしない怠惰には厳しいということである。恋愛は、抽象的な議論と同じように能力次第のものだから、努力してどうなるというものではない。まあ確かに、「俺はたくさん歴史の本を読んだが記憶力が悪いからみな忘れてしまう」と言う人がいたら、これは責められないわけであるが、あまりそういうことを言ってきた人はいない。

 付記・その後瀬々さんから連絡があり、夫君の腫瘍は良性だったそうである。ほっとした。              (小谷野敦