男女共同参画施設?

 新年度初の出講で東大駒場へ行った。図書館で調べ物をして出ようとしたら、ふと張り紙に目が止まった。なになに。学内の男女共同参画施設(保育所)に向かっていた小学生の女子二人が、女性から「クリスマスでプレゼントをあげる」と声をかけられたと。女性の服装はかくかくしかじか、最近、子供を狙った犯罪が増えており、この件に犯罪性があるかどうか分からないがなんたらかんたら。
 幼女が被害者になった事件というのは、少なくとも日本では犯人は常に独身男だった。女が声をかけたとしたら、そりゃ宗教団体か何かだろう。それにしても、学童クラブを「男女共同参画施設」とはまた大仰な名前をつけたものである。事大主義。私の母は学童クラブで働いていたことがある。断っておくがそういうものがあることは良いことである。
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(活字化のため削除)
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 精神分析の危険性を警告した『危ない精神分析』を出した精神科医矢幡洋は、しかし自分でも通俗心理学書を出している。『諸君!』2005年3月号で矢幡は香山リカを批判しつつ、お前もやっているではないかという批判に答えて、自分は仮説としてこういう考え方もありうる、と言っているだけだとか弁解していたが、意味不明だった。自分一人では心細いとでも思ったのか、斎藤環まで弁護して、斎藤は医学界では精神分析ラカン派も少数派であることを認めた上でなんたらかんたら、と言っていたが、強弁としか思えなかった。だって文学研究とか文藝評論の世界では、精神分析ラカン派も少数派じゃないんだからね。そもそもフロイトとかユングとかラカンとかエリアーデとかバシュラールとかクリステヴァとかジュディス・バトラーとか、みんなトンデモ本なのだ。これらの信奉者に、岩月謙司を非難する資格などないと思うがね。
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 そうそう、フィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』なんてのも既に破綻した本。日本ではポロクの『忘れられた子どもたち』とか、ダニエル・アレクサンドルービドンの論文(徳井淑子編『中世衣生活誌』所収、いずれも剄草書房)のような批判が手に入る。  (小谷野敦)