理想が高い?

帰ってきたもてない男」に付した求婚七か条に対して「理想が高い」と言う人がいる。そうも思わないのだが、それよりこの「理想が高い」という表現は、おかしくないだろうか。「理想」というのは、高いものである。「理想が低い」と、いうだろうか。低かったらそれは理想ではないのではないか。
 もう15年も前、ある女性と話していて、
 「まあ、あなたが好きだっていう男もいるでしょ」と言ったら、
 「そんな理想の低い人はいやなの」と言うから、
 「それは理想が低いんじゃなくて、理想なんかないんだよ」
 と言ったら張り倒されたが、そういう意味ではないのだ。

 では「理想が高い」の代わりに、何と言うのが正しいか。「理想がある」、いや「理想を追い求めている」といったあたりか。しかし、「あなた、これ、理想を追い求めているわよ」と言われたら、追い求めて何が悪い、と言いたくなる。だが、「理想が高い」と言っている人々は、「理想を追い求めている」と言っているに等しい。
 まあ、こういう条件提示に対する、戦後民主主義的な反応は、「好きになってしまえば条件なんか関係なくなる」というものだろうが、あの条件だって留保はついているわけだし、私が、川端康成の名前も知らない、というような女の純真さに魅せられるなどということは、現実にはない。せいぜい、湯河原あたりですれ違うように出会ってほっかりするとか、二年にいっぺん新潟まで会いに行くとか、そんなものにしかなるまい。  (小谷野敦