『季刊文科』64号は「私小説の力」を特集しており、勝又浩が西村賢太と対談している。中で勝又が、今の私小説作家として、佐伯一麦、賢太、小谷野敦をあげる人がいて、小谷野には意外だったが、車谷が落ちたんだなと言い、賢太が、書いてないから、と答えると、あれは倫理的に問題があるんだ云々と言い、小谷野もそうであるかのごとく続けて、「しかし『母子寮前』は良かった」と言っている。
つまり「悲望」や「童貞放浪記」などは気に入らんということであるか。前の話からの続きでいうと、「倫理的に」いかんらしい。だが「悲望」への道徳的批判の類は私はすべて論破した。勝又はこれまで、私の小説になど触れたことはない。こういやり方で、いきなり「『母子寮前』は」などとやるのは、端的に卑怯である。気に入らないなら気に入らないで、その理由を堂々と述べればいいではないか。
なおこの対談では勝又は賢太に媚びるように、今の芥川賞選考委員は「IQ紳士」だの「IQ作家」だのと言っているが、それでは賢太がIQが低いみたいではないか。それでいて、対談中に賢太が、「船頭小唄」を知らないと言ったのを、同誌113pの半ページコラムで、賢太が知らなかったとぼやいている。姑息なやつだ。
勝又が最近上梓した『私小説千年史』も、私小説は日本独自のものだと言ってそれを日本語の特質から論じているが、私小説は海外にもあると、昔から言われ、私も言っているのだが、秋山駿と勝又は無視し続けてきた。
法政大名誉教授の勝又が人を「IQ」などと言うのもちゃんちゃらおかしいが、ここで必要なのはIQよりも、こそこそ逃げ隠れしないで堂々と議論する誠実さだよ、勝又。
私は勝又監修の『文藝雑誌小説初出総覧』にいつもお世話になっているのだが、ああいうまともな仕事のできる人が、なんで評論になると突然ダメ人間になるのかねえ。
(小谷野敦)