令和から共和へ 天皇制不要論 堀内哲編    アマゾンレビュー


排除と九条護憲派
星3つ 、2022/06/25
天皇制反対の論文集で、言っていることはほぼごもっともで、意外なのはあまりそうだとは思えなかった島田裕巳が参加していること。しかしアマゾンでこの本を見ると、出てくる略歴が編者の堀内哲ではなく清水雅彦になっているが、これはゴリゴリの九条護憲派である。前の本で堀内はスガ秀実に、九条護憲派天皇制を守っているんだと指摘されているが、それには本書でも答えていない。柄谷行人の「憲法の無意識」でもそのことは指摘されているが触れられていない。何より私がこの本に参加させられていないで排除されているのは、九条改憲派だからだろう。天皇制廃止の衣の下に九条護憲という鎧を隠していたんじゃダメなんじゃないか。座談会に参加している下平尾直なんか、私の本を出すと口約束したあとで逃亡してしまっている。彼らを信用できないゆえんである。

「文学の話をする」

カナダ留学中のことは「カナダ留学実記」に書いたが、アメリカ人教員のモストウとクレイマーは、激しく政治的な教員で、ひたすら日本のナショナリズム批判を繰り返して私と対立していったのだが、その初期のころ、鶴田欣也先生から「モストウと文学の話なんかはしないのかね」と言われて、ぎょっとしたことがある。「文学の話をする」というのが、いかにも大正時代の、ないし戦後の、非政治的な話のように言われたから、鶴田先生はモストウがどういう人だか知らないんだろうかと思ったほどであった。

冷やす映画

「レボリューショナリー・ロード」は、1961年のリチャード・イェーツの原作を2008年にレオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットで映画化したもので、「タイタニック」から11年ぶりの共演で、監督はウィンスレットの夫のサム・メンデス、夫婦関係がぐずぐずと崩れていくさまを描いた優れた純文学映画である。

 日本でも「喜びも悲しみも幾年月」で理想の夫婦を演じた佐田啓二高峰秀子が、わずか二カ月後に同じ木下恵介監督の「風前の灯」で、似ても似つかぬ変な夫婦のコメディ映画を撮ったことがある。なんか「冷やす」必要があるのかもしれない。

 

顔だけで「愛している」のか

西洋人は恋人や配偶者に「アイラブユー」とか言うが日本人は恥ずかしくて言えないということがよく言われるが、私は映画など観ていて、これは初対面でどう見たって顔だけで好きになってるだろうという状況で「愛している」とか言うことで、私の感覚では「愛している」は顔だけで決めちゃいけないんじゃないかと思うんだが、あれは製作者とかは意識してないんだろうか。

「肩させ裾させ」と「促織」

 コオロギのことを「ツヅレサセコオロギ」とも言い、これは秋になって鳴くのは、寒い冬に備えて衣服を織れと促して「肩させ裾させ綴れさせ」と鳴くからだと説明されている。
 しかしこれは、シナ発祥のことがらで、シナではコオロギを戦わせる「闘蟋」という賭けを伴う遊びが盛んで、瀬川千秋の『闘蟋 :中国のコオロギ文化』には、コオロギは「快織(カイジー)、快織(早く機を織って寒さに備えよ)」と鳴くのだと聞きなし、それでコオロギを「促織」と呼んで、後漢の「文選」にはすでにこの呼称があったというのだから、日本の文明以前からあった呼び名で、唐代の杜甫にも「促織」というコオロギを詠んだ詩があるという。それをいつ「肩させ裾させ」と日本流に翻訳したのかは知らないが、誰か調べた和漢比較文学者はいないのであろうか。