谷沢永一の大学紀要論

日本近代文学者で評論家の谷沢永一関西大学教授の「アホばか間抜け 大学紀要」は『諸君!』の1980年6月号に載った(「あぶくだま遊戯」所収)。大学紀要がいかにくだらない論文を載せているかという痛罵の論でその後しばらく話題になった。1988年の中沢騒動の時も西部邁が論及していた。谷沢は躁うつ病だったから、これは躁状態で書いたものだ。

しかし谷沢は、左翼嫌いの東大嫌いだったから、実例としてあげたのは、無名学者の真にくだらない紀要論文ではなく、東大教養学部紀要の、藤井貞和とか桑野(百川)敬仁の「現代思想」風「源氏物語」論批判をしたため、「現代思想」批判にはなっても、大学紀要批判としては的を外したものになってしまった。平川祐弘も左翼嫌いではあったが東大びいきだから、谷沢のこれをあまり説得力はないと書いていた。

世間で人気が高いが私は乗れない映画

凱旋門、望郷、用心棒、隠し砦の三悪人ゴッドファーザー仁義なき戦い(その他やくざ美化映画全般)、東京物語(小津映画全般)、理由なき反抗、ジュラシック・パークフォレスト・ガンプマディソン郡の橋、愛人、ポンヌフの恋人バグダッド・カフェ、ファーゴ(コーエン兄弟全般)、西部劇全般、イージー・ライダーラスト・ショーテルマ&ルイーズヴェニスに死す、地獄に堕ちた勇者ども、卒業、ダンス・ウィズ・ウルブズ気狂いピエロ(その他ヌーヴェル・ヴァーグ全般)地下鉄のザジ、僕のおじさん、ラストタンゴ・イン・パリ(ほかベルトルッチ全般)ペーパームーンブルジョワジーの秘かな愉しみ(その他ブニュエルはだいたい)アマルコルド、田園に死す、愛の嵐、ジョーズ惑星ソラリス(その他タルコフスキー羊たちの沈黙幸福の黄色いハンカチ地獄の黙示録蒲田行進曲戦場のメリークリスマスベルリン・天使の詩北野武全般、レザボアドッグス、日の名残りもののけ姫、オール・アバウト・マイ・マザー、アメリカン・ビューティ、あの頃ペニー・レインとブリジット・ジョーンズの日記リリイ・シュシュのすべてアメリあの頃ペニー・レインとパッチギ!ジョゼと虎と魚たち河童のクゥと夏休みラ・ラ・ランドサマーウォーズ

俳優になりたかった

信じられないかもしれないが、私も一瞬だけ、俳優になりたい、と思ったことがある。高校一年のころである。結果的には、人づきあいが無理だろうといったことで霧消していったが、その時ちょっと悩んだことは、「嫌な人間を演じられるか」ということだった。たとえばきわめて男尊女卑的な男を演じるのは嫌だということがあって、もしその男が作品内で悪役として描かれているならまだいいが、肯定されていたら耐えられないと思った。じっさいその当時は「まあ女子は大人になったら家庭に入るわけだし」といったセリフを「中学生日記」の先生役が口にしたりしていた。

 多分そのことは今でも尾を引いていて、たとえばフィクション小説を書くときに、自分では許せない人物というのを描けない。これはかなりまずい。だから殺人事件が起こるような小説は書けないのである。

「遊女」という呼称

某所で、明治初年の芸娼妓解放令で、遊女が娼妓になったという記述を見たが、徳川時代の娼婦を「遊女」と呼ぶのは疑問である。横山百合子の「遊女の終焉へ」(「近世史講義」ちくま新書)も疑問だが、遊女はむしろ中世的な用語で、近世においては公文書では「売女(ばいじょ)」である。

知らないことは訊けない

私が修士論文を書いた時(1989年)、私はコピー室へ行って、オートシートフィーダを知らなかったため、一枚一枚コピーしていた。半分ほどやったところで事務の人がきて、オートシートフィーダを教えてくれ、「あらー杉田さん(助手)に訊けばよかったのに」と言われたのだが、知らないことは訊けない。あとから男の人も来て同じことを言うから泣きたくなった。

 「そういうものがある」ということは知らないと質問できないのである。この論理は頑強で、「分からないことがあったら何でも質問してください」ということを言う人は、こういうものがあるということを知らないと質問できないし、逆に知っていれば質問しないでも検索すれば済むという現代の逆説に気づいていないのである。

 それから20年以上たち、父が60歳を過ぎて、時どきぼうっとして口をパクパクさせる、と母が言いだした時も、医者に話しても分からず、慶応病院へ連れて言ったらすぐ老人性てんかんだと分かった。それから十年ほどして、週刊誌に「老人性てんかん」の記述があるのを見たら、その時の父の症状にぴったりだった。母はもう死んでいたから、悔しかった。

 「存在することを知らない人にそれを教える」というコンピューターは、いずれできるのだろうか。

宮崎芳三と批評

『ちくま』九月号に廣野由美子の「批評とは何か」という文章が載っている。ちくま新書の新刊、北村紗衣の『批評の教室』の宣伝文である。廣野は京大人間環境学の教授で19世紀英国小説が専門だ。冒頭、廣野が修士課程を終える時に定年退官した指導教授のM先生というのが出て来る。廣野は京大独文科卒だが、大学院は神戸大で英文学を学んだから、これは神戸大教授だった宮崎芳三(1926- )で、もしかするとまだご存命ではないか。

 99年に宮崎先生から著書『太平洋戦争と英文学者』を寄贈されて、「朝日新聞」の「ウォッチ文芸」で紹介したことがある(なおこれは三人で担当する欄だったが、私の前に担当していたのが鴻巣友季子だった)。当時宮崎先生は、阪大助教授であった私をもっと年かさの人だと思っていたらしいということを人づてに聞いた。

 ところで廣野は、宮崎先生から、論文からは「私」を消せと言われ、「私」は「筆者」に変えるように言われたという。これはちょっと形式的だが、『太平洋戦争と英文学者』では宮崎先生もそういう軌範から自らを解き放って、「私は」と盛んに書いていた。

 廣野さんは、宮崎先生のそういう姿勢と対照的なのが北村の態度だと論を進める。私はまだ図書館から回ってこないので北村著を見ていないが、アマゾンレビューから推測するに、ここでは「批評」を学問としてではなく「文藝」としてやっていると思う。

 宮崎先生は科学的で客観的な「学問」を目ざしたのだろうが、文学研究で学問といえるのは、作家の伝記研究、またその環境の研究、作品については語注や注釈くらいで、作品を読んでどうとらえるかという「批評」は客観的ではありえない。フロイト精神分析にしてからが科学でも客観的でもないのである。

 これに対して異論のある人もいるだろうが、あるならあるでちゃんと議論すればいいのだが、やると具合が悪いか喧嘩になるからやらないようで、匿名でごちょごちょ言うくらいしかできないようである。

小谷野敦

赤坂真理「愛と性と存在のはなし (NHK出版新書) アマゾンレビュー

こういうことこそ小説に書くべきでは
星2つ - 、2021/09/28
本書では上野千鶴子の東大入学式での式辞を聞いて東大入学する男子が傷ついたんではないかとか、動物に同性愛はないとか書いているが、動物に同性愛はある。当人がトランスジェンダーじゃないかと考えていたり、母親が死んだことをきっかけに書いたとかいろいろごっちゃに書いてあるのだが、そもそも著者は小説家で、こういう題材こそ新書じゃなくて小説で、順を追って書いていくべきだと思う。あと全体に、他人との対話を拒絶して閉じこもっている感じがある