「リメインズ 美しき強者(つわもの)たち」(千葉真一)中央公論2018年8月

 大正四年に北海道の三毛別などで人喰い熊が現れて数人が犠牲になり、軍
隊まで出動して、村民たちは避難し、熊撃ち名人が仕留めた話は、吉村昭
羆嵐』で知られるが、この事件の実録もあり、吉村は熊撃ちを変名で書い
ていて、果して吉村のオリジナリティはどうなのか、気になった。
 この事件をもとに脚色したのが、千葉真一監督の「リメインズ」で、真田
広之、菅原文太らが「赤まだら」と呼ばれる恐るべき人食い熊を追うという
アクション映画で、ジャパン・アクション・クラブが中心になっている。け
っこういい映画だと思うのだが、あまり評価はされていないようで、しかし
最近DVD になったのは再評価だろうか。吉村原作の実話『漂流』(森谷司郎
督)なんか、北大路欣也主演だがVHSは入手困難な上、DVD化もされて
おらず、そんなに駄作なのだろうかと思う。
 さて『リメインズ』のヒロインは村松美香という新人女優が演じていて、
これもJAC なんだろうが、一家を赤まだらに食い殺され、女は山へ入っては
いけないという掟のために敵討ちへの参加を断られるが、男姿に変わってま
で赤まだらを追う。
 この村松美香が、主題歌も歌っているがレコードはその一枚だけで、あま
り美人ではないが、最後は真田とキスシーンを演じている。はじめ、真田が
旅から帰ってくると、村松が歩いて行く真田の周囲を飛び回るようにして、よその村

へ嫁に出されたが亭主をひどい目に遭わせて逃げてきた、などと語るのだが、こ
こでの様式的な動きがいい。
 JACの人だから、体や手足は伸びやかに美しく、見ていて気持ちがいい。
撮影には実際の熊を使ったようで、最後は一つの家をまるごと壊しての熊と
真田、村松の格闘シーンになる。美人でないといっても、私はこういう女優
が好きである。これ以外にはNHKのドラマ『旅少女』に主演しただけで、
映画やテレビに出た形跡はあまりないのだが、むしろこれ一本でのみ主演し
たあたりに、あたかも実在の人物のようなリアリティの源泉がある、とも言
えようか。ともあれ、そうバカにした映画ではないはずである。

「トンネル 闇に鎖された男」(キム・ソンフン)中央公論2018年7月

 韓国はある種厄介な国だ。私などは文学の人間だから、他国への関心の持
ち方は、だいたい文学から入るのだが、韓国には今もってこれという文学がな
い。ノーベル賞候補とされる詩人・高銀がいるが、他言語の詩は入りにくく、
やはり小説がほしい。その一方、韓流と呼ばれるほどメロドラマは盛んでフ
ァンもいるが、私には入りこみにくい。だが、映画だけは着実に進化しつつあ
る。一時期勢いのあったキム・ギドクが最近精彩を欠いているが、「トンネ
ル」などは、もっと評価されてもいい作品ではないかと思った。
 韓国のある自動車用トンネルが突然崩壊し、運転していた男(ハ・ジョン
ウ)が閉じ込められてしまうという事故もので、男は携帯電話で閉じ込めら
れたことを知らせ、救出作業が始まる。男の妻を演じているのがペ・ドゥナ
ある。
 男はたまたまその前に立ち寄ったガソリンスタンドで水のペットボトルを
もらっており、子供に買ったケーキがあったが、食料はそれだけ、救出には
上部から穴を掘り、一週間ほどかかる見込みである。そのうち男は、自分の
近くに別の遭難者女性がいることに気づくが、その女性が飼っている犬にケ
ーキを食われてしまう。そして救出隊の計算が間違っており、掘った穴は男
からは遠かった。
 ケレン味のない、正攻法の映画で、好感が持てる。救出隊長の人柄も、妻
の描写も真っ向勝負である。しかしトンネル崩落の原因は手抜き工事で、し
かも男の救出のために近くでの別のトンネル工事が止まっており、男の携帯
の電池は切れ、もうどうせ死んでいるから救出作業はやめろという声があが
る。妻は納得しないが、ここで救出隊長ががんばる。
 まじめに撮られた映画だが、トンネル崩落などというのは、韓国の恥部と
もいえるので、批評家はあまり評価したがらないのかもしれない。まじめに
撮った映画というと「新幹線大爆破」などを想起するが、それに比べても地
味である。だが、恥部というより、韓国がんばれと言いたくなる佳作である。

「クリーピー」(黒沢清)中央公論2018年6月

 私は、映画はシナリオが一番大切だと思っている。もちろん世間には、シ
ナリオより映像を重視する人もいる。だが小説でも、私は筋を重視する。筋
のない小説にも優れたものはあるが、筋がないに近いものを文章だけで評価
するということはあまりない。
 『クリーピー』は、前川裕のホラー小説が原作だが、かなりひどいシナリ
オで、『映画芸術』でワーストの中に選ばれたほどである。原作はごてごて
してはいるが一応筋が通ってはいるのを、あちこち切り落としたために、危
険な犯罪者がいる家に一人で乗り込んで行って殺されたりする刑事などとい
う間抜けな者が現れたりする。
 サイコパス犯罪者を演じるのは香川照之で、犠牲となるのが刑事の西島秀
俊とその妻・竹内結子である。そして監督・黒沢清の映像表現が実にみごと
で、竹内を正面からとらえながら映像が不気味に揺れたりする。
 いい映画だと思ったのに、あとになって全然覚えていない映画もあるが、
ひどいなと思ったのに記憶だけは鮮明な映画もあって、『クリーピー』はま
さに一度しか観ていないのに各々の場面が記憶に残る。東京郊外の住宅地で
ある稲城市あたりがロケ地なのだが、この映画を観たあとではその郊外の何
げないたたずまいさえ怖くなる。だいたい郊外というのは、いったん見る者
の精神状態が悪くなると不気味なものだ。私は、多量の住宅が建っているの
を目にすると、これの一つ一つに三、四人の人が住んでいて、こういうのが
日本中にあるのだ、と思っただけで気持ち悪くなるので、この映画はそうい
現代社会のハコ的な住宅の薄気味悪さを描いたともいえる。
 他人を操ることができるスタンガンみたいな装置が出て来て、そんなもの
存在しないので、原作からして無理はある。なお原作の前川裕は法政大の英
文学教授で、大学院で私の先輩にあたり、大学の先生で小説を書く人は文学
専攻でもあまりいないので、その点でも関心があったが、前川とは面識はな
い。

「コンペティション」(オリアンスキー)中央公論2018年5月

 プロコフィエフのピアノ協奏曲三番を聴くたびに、なんとプロコフィエフ
という人は偉大なのだろう、なぜ人々はもっとプロコフィエフを、モーツァ
ルトやベートーヴェンのように崇めないのだろうと思ってしまう。「日本プ
ロコフィエフ協会」というのがあったら入ろうかと思ったらなかった。
 二十世紀ソ連の文学は、パステルナークもソルジェニーツィンも私は感心
しないが、音楽はプロコフィエフストラヴィンスキーがいてすごい。もっ
とも彼らの時代はほとんど帝政ロシヤ時代だが。
 オリアンスキー監督の青春音楽映画「コンペティション」(一九八〇)を
観たのは九〇年代に入ってからだが、どうも自分が昔考えたヨーロッパを舞
台とした小説と筋が似ているな、と思った。しかしこれはたぶんこの映画の
筋をどこかで聞きこんで小説の筋を考えたのだろう。
 ピアニストを目ざす青年ポール(リチャード・ドレイファス)とハイジ(
エイミー・アーヴィング)が、ピアノ・コンクールで出会って恋に落ちると
いう物語だが、さほどシナリオが優れているとも思えない。最終決勝でハイ
ジが金賞、ポールが銀賞になり、ハイジは喜ぶのだが、ポールは失望し、ハ
イジとの仲が終わりになる、と思いきや祝勝パーティでポールが戻ってきて
エンド、という、まあ甘いといえば甘い映画だ。
 だが、その決勝戦で、ハイジが当初モーツァルトの協奏曲を弾こうとして
ピアノの一腱が不調であったため、ピアノと曲目を変えさせ、プロコフィエ
フの三番を弾くという、そこが好きなのである。オーケストラがロサンジェ
ルス・フィルであることは分かるが、ピアノは誰が弾いたか分からない。だ
がこのラスト近くに登場する曲としてプロコフィエフ三番は実に劇的である。
だがこういう場合、俳優はもちろん弾いているフリをしているのだろうが、
何か特殊技術があるのだろうか。とはいえ、エイミー・アーヴィングの弾き
ぶりは、何度か見ていると肩に力が入りすぎだったと思う。

 

「今度は愛妻家」(行定勲)中央公論2018年4月

 「ネタバレ」ということがうるさく言われるようになって十年ほどであろ
うか。私の若いころももちろん、推理小説の犯人は読んでいない人に教えて
はいけない、ということはあったが、さほど厳しい話ではなかったし、読ん
でいる最中の人に言うのと、まだ着手もしていない人に言うのとでは違うだ
ろう。
 やはり「ネタバレ」忌避感覚が増進したのは、映画「シックス・センス
以来だろう。まああれのネタばらしを観ていない人ないしこれから観ようと
している人にするのはひどい。
 だがその後、推理小説評論家などを中心とした「ネタバレ討伐隊」の鼻息
はだんだんヴォルテージがあがり、一般に純文学とされる小説についても、
書評でネタばらしをしたと批判されたり、ホームズもの「まだらの紐」につ
いてもネタバレはいかんと言われたり、どうもうるさくなってきた。『出版ニ
ュース』で佐久間文子が、過剰なネタバレ批判はどういうものか、と書いて
いたことがあるが、同感である。
 たとえば推理小説で「叙述トリック」と言われるものがあるが、中には「こ
れは叙述トリックものだ」と言うこと自体がネタばらしだと言う人もいる。
逆に、さる文庫版の推理小説の解説に、間違ったことが書いてある、と言う人
がいたので見てみたら、ネタバレしないようにわざと間違えたのだという例
もあった。私も一度、アマゾンレビューで、ネタバレしないように書いたら、
「これではどういう話か分からない。まだ読んでいない人に向けて書くもの
でしょう」という苦情コメントがついて苦笑したこともあった。
 「今度は愛妻家」は私の好きな映画である。豊川悦司薬師丸ひろ子が夫
婦役である。トヨエツはテレビ関係のそれなりの実力者で、ご多分に漏れず
女関係も多く、妻を悩ませている。水川あさみも出ていて、いい味を出して
いる。だがこの映画についてこれ以上言うとネタバレになってしまう。とい
うか、こういう書き方をすること自体ネタバレの恐れがあるのである。しか
し、私はこれはいい映画だと思う。

「ミスト」(フランク・ダラボン)2018年3月

 スティーヴン・キングという作家は、日本ではむしろ「キャリー」や「シャ
イニング」などのホラー映画の原作者として知られ始めたと記憶する。
 私がキングの原作で読んだことがあるのは、よりによって凡作の『ファイ
アスターター』(映画邦題は『炎の少女チャーリー』)しかない。その昔、
角川映画が「読んでから観るか、観てから読むか」という宣伝文句を使った
が、キング原作の映画を観ても、あまり原作を読もうという気には私はなら
ない。日本の作家では山崎豊子が私にはそういう作家で、映画やドラマを観
たあとで原作にとりかかっても、まあだいたい同じだな、というので読み通
すことはない。キューブリック監督の「シャイニング」は、その藝術性で評
価が高いが、原作を変えているため、キングとそのファンには不評で、キン
グは自ら監修してテレビドラマに作り直したが、妙に平凡な幽霊ものになっ
てしまった(ファンは支持している)。
 一九七○年代から、映画や小説で「ホラー」が流行するが、古典的な「怪
談」と区別して「モダンホラー」とも言われる。映画では「スプラッタ」な
どといって、電動ノコギリで人を殺しまくる血しぶき映画もはやった。しか
しホラーは一過性の流行ではなく、ジャンルとして定着しつつあり、「角川
ホラー文庫」などのレーベルもできている。戦争が先進国を戦場としては起
こらなくなったためででもあろうか。
 「ミスト」はキングの中編が原作だが、キングの郷里のメイン州あたりで
もあろうか、一つの町が深い霧に覆われ、その中からエイリアン型の怪物が
出現するという話だ。これは、バッドエンドであと味が悪いということで観
てみたが、普通に娯楽映画として面白かった。存外この「普通に面白い」と
いうのは、小説でも映画でも難しいものである。なるほどこの映画はこのエ
ンディングがミソである。とはいえこの文章を書くため、キング監修の「シ
ャイニング」を途中まで観て、やはりキングとのつきあいは私の場合映画ど
まりにしておいたほうがいいと思ったのであった。