http://www.youtube.com/watch?v=7Hkki12tSW0
凍雲篩雪(26)
 佐村河内守の事件は、まことによくできた一場の娯楽であった。事件や事故や醜聞は、平和が続く現代日本において基本的に庶民の娯楽だが、死人が出ているとそうは楽しめない。それに対してこれは今のところ一人も死んでおらず、「さむら・かわちのかみ」と読んでしまいそうな名前と相まってほぼ完全な娯楽となった。ただ世間には同姓の無関係な人物もいるかもしれないので、その人にとっては気の毒である。長いので以後佐村と書く。
 昨年三月にNHKスペシャルで佐村の番組が放送された時、その交響曲『HIROSHIMA』を聴いて、なんという凡庸な作品だろうとあきれ返ったものだが、これが新垣隆の代作だと分かったとしても、曲に変わりはないのだから、これを絶賛した野本由紀夫や許光俊三枝成彰は、今度は新垣を、現代日本の奇跡的な作曲家として絶賛しなければならないはずである。『新潮45』十一月号で、佐村はそんなにすごいかと疑念を呈したのは野口剛夫だが、まともにクラシック音楽を聴いてきた者なら、凡作だと思うのが普通である。文学でもそうだが、作品をヨイショせざるをえない業界事情というのがあったのだろうと思わせるし、代作でしたチョン、で終わりにしたのではまったく不徹底だろう。
 ところで佐村、いや新垣の曲はマーラー風だと言われているが、私はここに至って、どうもマーラー自体が怪しいと考えるようになった。マーラーが一九一一年に死んだ時は、作曲家としては評価されておらず、日本では無名だった。その後、指揮者のブルーノ・ワルターの師匠として知られ、作曲家としても評価が高まっていったのは二十世紀も後半になってからだ。吉田秀和は、一九六一年の『わたしの音楽室 LP300選』で、マーラーからは「大地の歌」をとったのみで、のち八一年に『LP300選』として新潮文庫に入れる際、巻末のLPリストで、「その後、マーラーを聴き込んだ。交響曲を全部抜いてしまったのはやはり正しくなかった」として、「第九」を追加している。この二十年の間のマーラーの株のあがり方が分かるだろう。
 マーラーを広めるのに功績があったのはバーンスタインだろうが、別に一部ではやりのユダヤ陰謀論などではなく、私はマーラーがそんなに偉大であるか疑問を抱いたのである。交響曲では、おそらく通俗的とされる第一「巨人」はいいが、二番以降は、メロディーが明確でない。だからこそ新垣は「マーラー風」に作曲できたので、もしチャイコフスキードヴォルザーク風にやったら、世間は酔わなかったかもしれないが、私はもうちょっと評価しただろう。ちなみに私は、誰も評価しないらしい團伊玖磨のオペラ『建 TAKERU』を高く評価する。
 つまり二番以降のマーラーは、特に二番「復活」や第九など、「感動」的に受容されてきたのではないかということだ。二十世紀後半の日本での、原爆を描けば小説でも映画でもあげ底評価されるように、核兵器の時代の、人類の再生とか鎮魂とかいうテーマ的に、マーラーは受容されてきて、新垣と佐村はそこにつけこんだのではないかということで、私はむしろマーラーの評価自体が高すぎたのではないかと思うのである。
(付記)あとでマーラーを聴き直してみたら、第三番第一楽章もあるし、結構ちゃんとメロディアスであったから、上は撤回する。要するに新垣の曲はマーラーになんか似ていないということで、マーラーの非メロディアスなところだけとったような、箸にも棒にもかからないシロモノである。