著書訂正:
『日本恋愛思想史』123p「三人吉三」に「きちざ」とルビ→「きちさ」
121p「頂相」→「肖像画

 滝沢誠『権藤成卿ぺりかん社には、滝沢の半自伝が載っていてこれが面白い。滝沢は成蹊大学卒だが、これは高校時代に読書に耽って勉強しなかったため。岩波文庫の白帯を読破したという。で、成蹊大へ入って「あまりの程度の低さに驚いた」という。安倍晋三より十年ほど前のことである。滝沢は田中角栄の世話で、鳥居達也の宣伝会社アド・センターに入るのだが、この鳥居というのは元特攻隊である。
 川端康成は1945年春、軍部の命令で山岡荘八、新田潤とともに鹿児島の鹿屋の特攻隊基地へ行って鳥居と知り合っており、のち鳥居が社長を務める日本織物出版社から『エミーよ 愛の遺書』(金子和代)という手記を出した時に推薦文を寄せている。この『エミーよ』の編集、つまりまとめをしたのが新聞記者の山崎安雄だが、この人は同年『著者と出版社』を出している。そこに六興出版社のことが書いてあって、戦後の社長は矢崎義治とある。しかしこの矢崎義治が何者かちっとも分からない。矢崎のあとで社長になるのが、佐藤碧子の夫の石井英之助という元文春の社員である。碧子の実妹は矢崎寧之と結婚していてその子が矢崎泰久だが、矢崎義治と関係があるのかどうか分からない。川口則弘さんに分からないことが私に分かるはずがない。