『ナニカアル』を読んだ

 桐野夏生の『ナニカアル』を数日前に読んだ。これは久米正雄が出てくるので、読売文学賞をとったころに購入して、久米関係のところだけ見た。
 戦時中の林芙美子の、インドネシアでの恋愛を中心としたものだが、昭和12年の漢口一番乗りで、芙美子が久米を出し抜いたと言われていて、久米がずっと林に怒っており、東京日日新聞学芸部長が久米だったので、大毎東日から林は締め出されて朝日に書いていたとある。さらに、東京日日記者の米田源助に林が話をしたら、久米が「米田に謝ったくらいで済むと思っているのか」と怒り、ねちねちと林に意地悪をした、とあるので、これは実話なのか創作なのか、桐野氏に訊こうと思って、ツイッターにいた桐野氏に承認申請していたのだが、ならぬままに終わってしまった。
 さて、林芙美子の恋愛遍歴は有名で、関連書も多い。画家の手塚緑敏と結婚していたのだが、芙美子の死後、緑敏は芙美子の手伝いに来ていた姪の福江と結婚して林姓になっている。ところが、芙美子は戦時中、生後四日の男の子をどこからともなく連れてきて「泰(たい)」と名付けて養子にした。芙美子自身の正式な実子はいない。だが芙美子没後、泰が電車に乗っていて転落死してしまったため、緑敏と福江は、その十三回忌が過ぎるまで結婚を延期し、結婚した時には緑敏は七十、福江も四十になっていた。福江は今も存命で、『ナニカアル』に「林房江」として出てくるのはこの福江である。
 さて、ここでの恋の相手は佐藤嘉一郎という東京日日の記者で、東大独文科卒、芙美子の七歳年下である。1942-43年に芙美子はインドネシアへ行き、そこで佐藤と会い、身ごもったのが「晋(しん)」と名付けられた子供で、母にだけ告げて夫には知らせず産み落とし、他人の子だとして養子にした、という筋だ。つまりこれが「泰」ということになる。
 佐藤のモデルは高松棟一郎で、経歴は佐藤と一致、戦後東大新聞研究所教授となるが、芙美子が死んだあと、47歳で酒の飲み過ぎのため死去している。高松と芙美子の関係を明らかにしたのは、1969年の平林たい子林芙美子』で、高松は芙美子に宛てた手紙を取り戻した上、その没後に芙美子の手紙を古書店に売ってしまい、それが流出したのである。ただ、日付も分からないため、芙美子とどこで知り合い、どういう経緯があったのかが不明だ。太田治子は『石の花 林芙美子の真実』(筑摩書房、2008)で、高松が芙美子と同じころ南方へ行った可能性を示唆している。清水英子も『林芙美子・恋の作家道』(文芸社、2007)で高松のことを書いている。
 芙美子の恋の相手といえば、今川英子が、パリでの、従来知られていた白井晟一のほか、考古学者の森本六爾とも恋愛があったことを明らかにしている。まことに忙しい話だが、「泰」が実の子ではないかという疑いは前からもたれていて、それを桐野が、高松を当てて仮説として提示したというわけだ。
 泰が実の子だというのは、ありそうな話だと思う。

林芙美子・恋の作家道

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林芙美子・宮本百合子 (講談社文芸文庫)

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石の花―林芙美子の真実

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