正岡子規の「差別」

 正岡子規の『墨汁一滴』には、明白な被差別民に対する差別的な句が載せられている。
 「鶴の巣や場所もあらうに穢多の家」
 という。
 青空文庫では、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/card1897.html
 
「この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫

この作品には、被差別部落民に対する蔑称が用いられています。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)」

 とある。しかし岩波文庫では、さらに厳重な但し書きがつけられている。
「不適切と受け取られる可能性のある」どころか、明白な差別であり、「蔑称」の問題ではなくて差別そのものである。青空文庫の但し書きは十分とは言えない。そこはさすがに岩波のほうが厳密で、これが差別そのものであることを記している。
 時代的制約とは言えない。明治34年のものである。五歳年下の島崎藤村は、それから五年後に『破戒』を刊行している。
 それが理由というわけではないが、私は正岡子規という人が好きになれない。またこういう人物を主人公の一人にする『坂の上の雲』は、小説としても出来が悪いと思う。

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書店へ行ったら、平川・牧野陽子編『講座小泉八雲』第一巻(新曜社)を見つけた。全二巻らしいが一冊七千円もする。「駒場学派」の参加は存外少なく、河島弘美、村井文夫、あと下巻では故人の仙北谷さんと、中村和恵、菅原、杉田。
 まえがきで平川先生は、ハーン礼賛みたいなのは困りものだと書いているが、「チェンバレンのような西洋中心主義者」と相変わらず書いている。それを書くなら私に反論してからにしてほしい。
 続いて、どこから資金が出ているやら『表現者』は天皇制特集だった。天皇をエンペラーと訳したのは間違いだったと何度か書いてあったが、小林よしのり宮崎哲弥福田和也が参加していないあたりに、西部先生の軌跡を見る思いがした。大物同士が師弟関係を保つのは難しいことだ。
 あと渡辺保の『江戸演劇史』を立ち読みしたのだが、出雲の阿国が歌舞伎の創始者だというのは、服部幸雄によって疑問視されている。それがちゃんと書かれていなかったような気がする。

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