ミラーマン対シルバー仮面

 最近、『シルバー仮面』のDVDを観ている。私の世代の男子の多くは、ミラーマンシルバー仮面という、日曜七時という同じ時間帯に放送されたうち、『ミラーマン』を選んだだろう。1971年1月に『宇宙猿人ゴリ』が始まって以来の第二次怪獣ブームは、一年をへずして、二作の競合という事態を生み、翌年四月には『ウルトラマンA』の裏番組に『変身忍者嵐』をやるという状況を招く。この場合ももちろん私は大多数と同じように『A』を観たわけだが、たぶんテレビ局的に、裏へぶつけろといった命令が下るのだろうが、観る側からすると迷惑である。何しろビデオもない当時で、テレビは一家に一台が普通だった。もう、どっちかを選ばなければならないのである。
 あとになって「シルバー」は再放送で観たが、今回きちんと観てみて、渋いし、大人の鑑賞に堪えるドラマが、佐々木守市川森一上原正三らによって作られていると感じはしたが、わずか11話で「ジャイアント」へと路線変更している、そのあわただしさに驚いた。それに71年の11月と12月という、またずいぶん中途半端な時期に、いきなり両作品の放送が始まっている。
 しかし、いくら渋くたって、これで『ミラーマン』に勝てるわけがない。子供番組なのである。怪獣もののベテラン円谷プロの作品に、この渋さと暗さで勝てると思うほうがおかしい。だいたいTBSは「ウルトラ」を擁しているのに、ムリしてぶつけなくても、いいではないかとすら思う。それに、もし路線変更しなかったら、この五人兄弟(途中から四人になる)は、延々と父の知り合いを訪ねては宇宙人の襲撃に遭って逃げ出すという筋書きを続けるつもりだったのであろうか。
 1971年というのはしかし、妙に「暗い」年だった。『帰マン』も『スペクトルマン』も暗かった。公害問題が前面に押し出されて、60年代特撮の明るさが失われた。『仮面の忍者赤影』なんて、なんて60年代的に明るいのだろう。『仮面ライダー』だって暗かったし、原作なんかそれ以上に暗い。手塚治虫は「七日の恐怖」とか「ドオベルマン」とか、やたら暗い短編を描いていたし、ゴジラだってこの年はあのへんてこりんな『ゴジラ対ヘドラ』で、『ゴジラの息子』『怪獣総進撃』『オール怪獣大進撃』といったお祭り的な明るさが失われている。というか、史上最も変なゴジラ映画である。
 マクドナルドやカップヌードルが登場したのもこの年で、それまで『ポパイ』のウィンピーがあんなに騒ぐ「ハンバーガー」ってものが、そんなに旨くはない、というのも知った。カップヌードルは驚異的に旨かった。
 1971年の一月に私は二度目の交通事故に遭い、四月には茨城から埼玉へ引っ越して、転校生として苦しい日々を送り、気管支炎で病院へ通うという、私にとっても暗い年だった。テレビだって家ではまだ白黒だったから、『帰マン』も白黒で観たんだ。私なら『1971』を書くね。

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水村美苗を積極的に推したのは関川夏央らしい。関川の悪口は前に書いたが、この人、怪しいのにあまり言われない人である。『坂の上の雲』だの持ち上げても左翼から批判されないのは「在日」ものをやっているから? 鶴見俊輔と親しいから? 『坊っちゃんの時代』なんて、私は売り払ったけどね、そんなに面白くはないでしょう、あれ。『中年シングル生活』書いたって、セックスをどうしてるか、とか書かないし。
(小谷野敦