「共和主義」のもう一つの意味

 「共和主義」といえば、君主制を否定する思想のことであると思っていたし、ウィキペディアでもそう書いてあるが、最近ではそうではない別の「共和主義」が出てきているようだ。
 ポーコックの『マキャベリアン・モーメント』の邦訳が出たが、これなどその一例で、数年前、今は東大にいる川出良枝が新聞でこれを紹介していた時、不思議に思って原書を注文したが、まだ読んでいない。
 すると、佐伯啓思松原隆一郎編の『共和主義ルネサンス』というのが昨年出ていて、西部先生の弟子である二人が共和主義を・・・と思って見てみたら、全然、天皇制の話など出てこないのである。「はじめに」で佐伯は、「わが国に共和主義的な思想を持ち込もうとすれば」としながら「天皇の問題はさておくとしても」などと書いている。驚いた。これは論文集だが、ほとんどそれは、君主制の対比としての共和主義を論じたものではないし、実際、君主制の可否などというのは、論文にするほどの内実を持っていない。
 しかし先日、映画『クィーン』を観たら、やはり英国では、君主制か共和制かという問題はあるのであって、私はかつて、BBCのシェイクスピア劇場の『お気に召すまま』のお色気たっぷりの演技を観て以来のヘレン・ミレンのファンだから、それはいいとして、労働党右派と英国王室御用達のような、エリザベス二世の苦悩とこれに同情し擁護するブレアを描いたこの映画でも、ブレア夫人は共和主義シンパなのである。
 しかし日本で、皇室の苦悩を、俳優を使って現天皇や皇太子を演じさせつつ、首相夫人が天皇制廃止論者だなどという映画は、いかに最終的に皇室擁護になろうと作れるはずはないのである。佐伯は「共和主義は保守思想とも結びつく」と驚くべきことを言っているが、『諸君!』や『正論』が、たとえフェミニズムに共感的な論文を載せようとも、天皇制を否定するようなものを載せないのは常識であって、日本で保守的共和主義などというものがありえないことは、本来の共和主義の意味とはまったく違う共和主義を措定しない限りありえないのである。
 しかし、柄谷行人が『世界共和国へ』で言っている共和国もまた、本来の意味とは別の意味で使われている。しかし、天皇制の是非について語ることが依然として半分タブーである日本で、そういう意味で「共和国」を用いるのは、時期尚早というべきだろう。
 (小谷野敦
 ところで『クィーン』の字幕版でブレアが盛んに「憲法」と言っており、constitutionをそう訳したのだが、英国には憲法はないし、これは「国体」とか「体制」とかいう意味だろう。