呉智英さんと私

呉智英さんと絶縁してから五年くらいになる。絶縁といっても、単に新刊が出ても送らないというだけで、新刊を送ると旧仮名遣いで書かれたハガキが来るという程度のつきあいでしかなかった。

若いころは尊敬していたが、だんだん薄れていった。『読書家の新技術』で紹介されている本はほとんど読み、当初は無理していい本だと思いたがったりしていたが、次第にその数は少なくなり、今では『共同幻想論』はもとより「柳田国男集」にいたるまでゼロになった。呉さんは左翼運動へのアンチテーゼで封建主義とか言っていたので、江戸ブームとかが来ると何かちぐはぐになってしまったのである。

 電話で、結婚しない理由を聞いたこともあり、学生運動の世界では、結婚するのは恥ずかしいことだという意識があったという。若いころは美男でもてたらしい。

 産経新聞佐々木譲の「警官の血」で言葉の間違いをあげつらって佐々木の反駁にあったのは2008年1月のことで、ネットを使わない呉の弱点があらわになった。

 さらにあれ? と思ったのは2014年に摘菜収との対談本を出した時で、実際話はかみあっていなかったが、中川淳一郎を弟子扱いしたり、坪内祐三と親しくしたり、ネット使わない族とばかりつきあってどんどんおかしくなっていった。

 私は著書は送っていたのだが、返事のハガキに書いてあることがおかしくなっていき、「宗教に関心がないといけないのか」では、シンガポールへ行く飛行機の中でパニック発作を起こしてお題目を唱えて耐えたというところにゲラゲラ笑った、と書いてあって、それはないだろうと思った。次の本では、若いころ周囲の人間が世間的に有名になるので嫉妬を覚えたと書いたところについて、ハガキに、ゲラゲラ笑ったと書いてあり、ギャグですか? とあった。私は別に笑われても嫌われてもいいのだが、ギャグですか、と言われると困惑する。呉さんとかスガ秀実さんとか、名誉欲を恥ずべきものだと思っているというのは分かるが、私はその感覚を共有していないし、実際のところ嫉妬しました、と言っているだけである。で、以後は著作も送らないことにした、というわけである。

 しかし「週刊ポスト」の「赤毛のアン」に関する珍記事を見るに、晩年の城山三郎みたくボケているんじゃないかと思えるので、ポスト編集部は何とかしたほうがいいんじゃないか。

小谷野敦