ポモのたわごと

『リオタール寓話集』(藤原書店、1996)の、本間邦雄による「訳者あとがき」には、こうある。

リオタールの言う“ポスト・モダン”は、リオタールが一貫して語っているように、・・・近代に続く時代という、時代区分の意味ではない。むしろ歴史発展や時代区分という考えかたそのものが、“近代”の概念と深い関係をもつ。・・・キリスト教的救済や歴史の成就といった「大きな物語」が有効でなくなった現在において、そのような歴史性をベースに置く考え方を停止し、宙吊りにするなかで思考し感覚する情況がリオタールの言う“ポスト・モダン”である。

しかしこれだと、「有効でなくなった現在」ではない、「有効であった過去」があるようだが、そんな過去は存在しない。そんな過去があったと想定すること自体、「ポストモダン」は現代をさしていると思えてしまうだろう。キリスト教的救済なんてキリスト教徒以外には関係ないし、「歴史の成就」なんてのはヘーゲル流のたわごとである。ならばポパーのように歴史法則主義を批判し、すべてのテーゼは仮説であるとすればいいのであって、そんなのは別に「宙吊り」と言いたてるほどのことではないし、「ポスト・モダン」などと名づける理由もないのである。
小谷野敦