木村洋「明治中期、排斥される馬琴 松原岩五郎の事例をめぐって」(『日本文学』2008年6月)が面白かった。木村は1981年生、神戸大卒、同大学院、文学博士、熊本県立大学専任講師。私は明治期の馬琴受容にかねて関心があるのだが、どうも一般的な記述だと、『小説神髄』が出て馬琴はたたきのめされたみたいに書く人がいる。これは事実ではなく、だいたい『小説神髄』自体が、ちゃんと読めば、勧善懲悪はいけないなんて書いてないのだ。
馬琴は西鶴との関係で評価が上下し、内田魯庵と松原二十三階堂は親しく、この二人によって西鶴は持ち上げられ、馬琴は貶されたという。明治の西鶴評価については平田由美の論文を読んだが、どうも全体像がうまくつかめない。馬琴派としては露伴、鴎外、依田学海がおり、学海没後に饗庭篁村が現れるという流れだが、1911年の鴎外の序文では馬琴がまた人気がある、とあって、これは自然主義が隆盛を誇っているころである。
誰か明治期の馬琴評価についてきちんとまとめてくれないかなあ。
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http://aleag.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-f962.html
大学の児童文学サークルで一緒だった伊藤さんが内館牧子と将棋連盟を提訴した。
これは勝てるかどうか疑問なんだがね。
そういえばやはり同じサークルの笠浦さんは「ひらり」のディレクターの一人だったんだが。
伊藤英紀(えいき、1962年- )北海道出身。札幌南高校卒、1985年東大理学部情報科学科卒、88年同大学院修士課程修了、富士通入社。