14年目の解決2

 『もてない男』に『グレート・ギャツビー』のことを書いて、デイジーと再会したギャツビーは幻滅し、と書いたら、もう七年ほど前になろうか、幻滅などしていないと、からんできた誰とも知れない者があった。私は、いろいろ調べて、幻滅しているようでもあり、していないようでもあり、していないと断言はできまいと答えておいた。
 だが近ごろ、フィッツジェラルドの短編集を読んだ。私はフィッツジェラルドは、『夜はやさし』の角川文庫版を途中まで読みかけて、あまりに読みにくいので抛棄しただけで、ほか何も読んでいなかったのである。すると、フィッツジェラルドというのが、本当に馬鹿で、酒飲みで、金ピカ趣味の俗物であるということが分かり、幻滅するほど賢明ではないだろうという結論に達したのである。
 デイジーというのは、バカで俗物である。バカだから、再会したら幻滅するだろうと思ったのは、私であってフィッツジェラルドではない。フィッツジェラルドは、自分がバカで俗物だから、デイジーにも幻滅しないのである。ということが分かった。もっともそうなると、フィッツジェラルドのような愚かな作家が古典的作家として今でも読まれていることは驚きである。そんなにみんな馬鹿で俗物が好きなのかと思った。バカでも俗物でも美人ならいい、という男なら、なるほど確かにたくさんいそうである。 

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人文系の博士論文では、しばしば、それまであちこちに論文として発表したものを組み合わせたものが現れる。以前は、そういう発表の仕方はどうか、という議論もあったのだが、現在はほぼ黙認状態である。そういうものが著書として刊行されて、学術雑誌で書評されると、褒める場合はしばしば、とても論文を集めたものとは思えない、最初から計画を立てて書き下ろしたようである、と書かれるものである。 
小谷野敦