團十郎

 犬丸治の『市川新之助論』(講談社現代新書、2003年3月)を図書館で借りてきた。これが出たのは、大河ドラマ『武蔵』が始まってほどないころで、私は、講談社現代新書もつまらん流行ものを出すなあ、と思って手にもとらなかった。のち『市川海老蔵』となり岩波現代文庫に入っている。なお執筆を勧め講談社に紹介したのは渡辺保だという。
 読んでいて、ははーんと思ったのだが、この十年で、新之助海老蔵は、そうとうマスコミにスポイルされたな、ということだ。確かに『武蔵』が始まる前の段階では、15歳の頃は父親似でひどい口跡だったのが、割とよくなっていたし、将来の歌舞伎を担う逸材に見えていた。それが、なんだか美人アナウンサーと結婚したとかそういうことでマスコミは騒ぎ、まあ例によって團十郎の追悼番組でも、意味なくその美人アナウンサー(名前を忘れた)の名が出てくるという醜悪さであった。
 犬丸は、團十郎がよくないということは認識している。それが今回読売で大仰な追悼文を書いたわけだから、犬丸も堕落したわけだ。それと、新之助海老蔵を襲名することはこの時点では決まっており、犬丸は、将来は十三代目團十郎になる、などと書いているのだが、市川宗家天皇家か。岩波現代文庫の書き下ろし『「菅原伝授手習鑑」精読』を見ると犬丸はどうも天皇崇拝家らしい。岩波もこんなもの出すようになったんだなあ。
 そういえば、新之助瀬戸内寂聴と京都を歩いていて、「御所って何なんですか」と訊いたという話が出てくる。犬丸は、市川宗家新之助は、天皇の呪縛から自由なのだ、などと書いているが、単にバカだっただけだろうとしか思えない。ひいきのひき倒しのすごさに笑い転げた。
 文庫版では直っているのだろうが、「舟橋聖一」に「ふなばし」とルビ。ふなはしが正しい。「折口信夫」に「おりぐち」とルビ。これはおりくちだと思うが。
 あと相変わらず、出雲の阿国が歌舞伎を創始したなどと書いているが、これは服部幸雄が否定した説であり、そこのところはどうなのか(私は服部説である)。