ノベルスの世界

 枡野さんの『僕は運動おんち』に触発されて、運動できない男の私小説を書こうと思ったのだが、どうもうまくいかない。
 ところで大学生のころよく「勉強ばかりしてきたから運動できないんじゃないか」などと言われたものだが、それはまったく違うのであって、たとえば運動を禁止する修道院で育ったわけではないのだから、まったく才能の問題なのである。
 映画「童貞放浪記」の感想を見ていてそれを思い出したのだが、これまた、東大へ行ったりしたために頭が肥大化してうんたらかんたら、と説明しているのが多いのだが、それはまあ関係なくて、東大行くような男だから貞操観念が強くて、テキト―な相手と若いうちにやってしまえなかったということはあるにしても、童貞がやろうとするとたいていはうまくいかないものである。

 さて、小説の世界には「ノベルス」というシリーズがあって、版型は新書判である。通俗作家にとっては修業の場であったり、有力なお座敷であったりする。しかし「ベストセラー(新書)」とかいうところで、一般新書とノベルスが一緒になっていたりすると「分けてくれー」と言いたくなるのである。
 ノベルスの始まりはおそらくカッパである。主として日本人作家による推理もの、歴史もの、ポルノが中心で、あるレーベルが衰退して滅びる頃にはなぜかポルノが多くなる。以下、簡単なノベルスの歴史である。

1954−2004 カッパ・ブックス
1955−80 ロマン・ブックス(講談社
1959− カッパ・ノベルス(光文社)
1963−96 カッパ・ビジネス

1968−75 サンデー・ノベルス(秋田書店
1970−2004 ノン・ブック(祥伝社
1971−85 サンケイ・ノベルス
1972−2000 桃園新書
1973−94 グリーンアロー・ブックス
1973− ノン・ノベル(祥伝社
1973−75 サンポウ・ノベルス(産報)
1974− 徳間ノベルス 
1975− ジョイ・ノベルス(実業之日本社

1980−96 カッパ・サイエンス 
1981− カドカワノベルズ
1982− 講談社ノベルス
1982− C novels(中央公論社
1985−98 ノン・ポシェット(祥伝社
1988−92 天山ノベルス

 参考のためカッパの他のシリーズも入れてみた。ノン・ポシェットだけちょっと判型が違う。あとjoy novelsとか横文字書きのものもあるが、角川だけなぜか「ノベルズ」と濁っている。
 80年代になって、角川、講談社中央公論がノベルスを出して、あおりを食らってかサンケイが潰れている。次第に文庫版の勢力が強くなったがカッパ光文社は文庫がなく他社の草刈り場になっていたから光文社文庫を作った。ノン・ポシェットはいくぶん文庫に近いところがあって、ノン・ノベルからポシェットに移行することもある。草刈り場になりながらジョイ・ノベルスは頑張るのである。新潮社と文藝春秋にはノベルスがない。講談社はかつてロマン・ブックスがあったのをなくしてノベルスに移行した。
 ノベルスには、大衆の匂い、生活の香りが漂う。文庫版というと、まだ亜インテリの匂いがする。図書館から借りてきたノベルスが三、四冊ころがっている家というのは、いかにも庶民的である。あるいは古びた旅館の部屋の片隅にあるノベルス。

                                                                              • -

亡命先から帰国したベニグノ・アキノが飛行機を降りるやたちまち凶弾に倒れたのは、26年前、1983年8月21日のことであった。当時私は大学二年生で、綾瀬にある学習塾で(確か城東学院とかいった)夏季講習で小学生を教えていた。新聞には「アキノ氏暗殺」などとでかでかと出ており、子供らに何か説明するのに、「まあ新聞で、だれそれ氏暗殺、とか見出しが出るでしょう」と言ったら子供の一人が「アキノ氏」と言ったのを覚えている。
 毎日あったし四年生だったから、『ちいちゃんのかげおくり』なんて絵本を朗読してやったら女の子が涙ぐんでいたり、怪談をしてやったら悪ガキが「楽しい! 楽しい!」と叫んだりしていた。お父さんが元自衛隊にいたという、みさきちゃんという女の子がいて、まるで人形のようにかわいかったが、あの子も今では36歳になるのだなあ。どこでどうしていますか、綾瀬のみさきちゃん。(姓を忘れてしまった)