「山椒魚」は盗作ではない

 井伏鱒二の「山椒魚」、原題「幽閉」(1924)が、ロシヤの作家サルティコフ=シチェードリンの「賢明なスナムグリ」をネタとした「盗作」だということを、猪瀬直樹が『ピカレスク』で書いている。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/inosenaoki.html
 別に私は井伏が何をしようと興味はないので放っておいた。ところが、今ごろになってふと、その「賢明なスナムグリ」を読んでみたところ、もちろん「似て」はいる。だが、筋といい主題といい、「山椒魚」とは全然違うのである。「スナムグリ」は、19世紀の帝政時代に、面倒なことに巻き込まれまいとした姑息な人間を諷刺したもので、スナムグリは自ら水の奥深く隠棲して百年生きる、という話である。
 竹山哲の『現代日本文学「盗作疑惑」の研究』(PHP研究所、2002)には、井伏の『ジョン万次郎漂流記』『青ヶ島大概記』『黒い雨』がリライトであることが書かれているが、「山椒魚」には触れられていない。栗原さんの本でも触れられていない。最初に言い出したグリゴーリイ・チハルシビリというのは、ボリス・アクーニンの名で推理小説を書いている人である。
 しかも、井伏が「幽閉」を書いた当時、「賢明なスナムグリ」が翻訳されていたという証拠も、英訳されていた形跡もない。とうてい、チハルシビリの言うように、そっくりだ、などとは言えないし、傍証もないのである。おそらく竹山も調べて、これはまずいと思って書かなかったのだろう。相馬正一井伏鱒二の軌跡』はこれに触れて、「チハルシビリ氏の仮説にはそれなりの説得力があることは否定できない」としているが、疑問である。

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 イアン・マキュアーン原作の映画「つぐない」を観ていたら(しかしこの邦題は昔の歌謡曲のようだ)第二次大戦中のニュース映画の場面(原作にないもの)が出てきて「女王陛下が」と字幕にあった。音は「クイーン・エリザベス」と言っている。しかしエリザベス二世が即位したのは1952年である。人に訊いたらこれは王妃、つまりエリザベス二世の母のエリザベスであり「女王陛下」ではなくて「王妃」であろう。
 その原作『贖罪』のアマゾンでの紹介に、「処女作」『アムステルダム』でブッカー賞をとり、などとインチキが書いてある。マキュアーンって私が学生の頃最初の翻訳が出た作家だぞおい。