「侃侃諤諤」よ、どうした

 かつて糸圭秀実は、文藝雑誌における匿名時評がなくなってきたことを指摘し、その重要性を述べていたが、私にはそれは疑問で、いくら匿名でもそれを載せている編集長・編集部というものがある以上、仮にからかわれたりした権力者が弾圧しようとすれば弾圧できるはずなのである。
 2月号文藝誌の匿名時評を見ていて、いよいよ自由に書けなくなってきたかなと思ったのは、『群像』の「侃侃諤諤」を立ち読みしたら全然おもしろくなかったからである。芥川龍之介芥川賞を予想させる、とか、イタコを使って呼び出したら太宰治が出てきたとか、あとは群像のゆるキャラとか、中学生でも言いそうなことが書いてあってまるで毒がなく、実につまらない。今ならもっと書くことはあるだろうに、さては規制がかかったかな、と思ったのである。
 『文學界』の、事実上の匿名時評「鳥の眼・虫の眼」も、石原慎太郎の新刊を褒めており、左翼がかった作家連を牽制しているのだが、何しろ文春から出た本だけに、どうも「よくぞ言った」感がない。

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 田中優子中島岳志が『週刊金曜日』の編集委員になった、とさる筋から教えられた。田中が「左翼」になったという面もないではないが、中島などは天皇制あってよし、保守を名乗る二股膏薬人間だし、むしろ『金曜日』が、天皇はいいけど改憲はダメよの最悪戦後民主主義雑誌になっただけだろう。それなら佐藤優でも編集委員にしたらいいのに。

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http://www.artespublishing.com/blog/2009/01/06-257

 これを見てびっくりしてあとがきをよーく確認したら、確かに順番に並べただけだった。なぜそんな勘違いをしたかというと、二冊別の題名で出たものが、一つの連載を順番に並べただけ、という編集手法を見たことがなかったからである。
 それはさておき、『週刊朝日』では例によって紙幅が足りず書ききれなかったのだが、片山の文章はどういうわけか読みにくい。知識が多すぎるところへ、月々のCD評という形式に収めようとしているから、苦しい苦しい。それに、眉唾なところも多くて、團伊玖磨の「ひかりごけ」を論じて、三島由紀夫とむりやり結び付ける。三島は戦後日本の欺瞞を突いて自決した、武田泰淳の「ひかりごけ」もそうだ、というのだが、もうそこから分からない。人肉を食って生きたから戦後日本がインチキだという論理が。単に武田は、日本人みなに戦争責任があると言っているだけで、人肉食はその意匠に過ぎないだろう。なら南アルプス山中飛行機墜落の際の人肉食で、飛行機はインチキになったのか? さらに片山は、「ひかりごけ」の中にミとシの音を発見して、三島に論究しているというのだが、ホントかよお。この音名を使っての珍解釈は、「ゴジラ」の「ドシラ」(正しくは地球防衛軍の音楽)でもやっているのだが、やめた方がいい。