「双調平家物語」の巻名

 「双調平家物語」は、「平家物語」かと思ったら古代から始まるが、巻名と内容がずれまくっている。「父子の巻・保元の巻」とある第五巻では、白河院鳥羽院の因縁と、忠実・忠通父子の相克を描いて保元の乱に至るのかと思いきや、後三条院の即位から、白河院政下での待賢門院の女院宣下あたりで終っているし、第六巻「保元の巻(承前)」ではまだ保元の乱は起こっておらず、第七巻「乱の巻」でようやく保元の乱、第八巻「乱の巻(承前)・平治の巻」では、今度は平治の乱が起こるのかと思うと、まだ保元の乱のあとの、為義斬られとか院流刑のあたりで終っている。第九巻「平治の巻(承前)」では、最後の最後になってようやく平治の乱の発端である。別に書いているうちにずれたならずれたでいいから、巻名もしかるべく改めてほしかったと思う。
 ところでこの本は、皇族、貴族にむやみと敬語を用いているのだが、それがかなり怪しい。「お主上はこう宣わされた」などとやるのだが、「お主上」というのがあるかどうか分からないし、「宣ふ」だけで敬語し、「宣われた」でよいはずである。「宣はす」のつもりなのだろうが、文語を口語にしているから、至るところにこの種の不自然な敬語があって、にわかに推薦できない。「お主上のお体はご静止に及ばれた」などというのも、いかがなものか。

 同名異人で、書くのを忘れていた人がいた。写真家の上野千鶴子である。1933年生れだから、東大教授の同名異人より15歳年上で、著作もあるが、東大教授のほうが、藝術にも一家言ありそうな人だから、間違える人がいるようだ。東大教授のほうの宿敵だった山下悦子というのも、着物研究家の同名異人がいる。

 『諸君!』九月号は例によってオリンピックに合わせてのシナ叩き特集なのだが、この時期にシナ人作家に芥川賞、という話柄はもちろん、なし。なんか、あんこのない鯛焼きみたいだ。
 毎日新聞では張競さんが楊逸に厳しい書評を書いていた。「貶そうというのではない」と言いながらかなり貶している。いいよねえ。張競さん相手じゃあ、「シナ人なのに日本語をこれだけ書いているんだから、大目に見てやって」とは誰も言えないもんね。いっそ張競さんも小説書いたら? 張競さんは文化大革命で辛い目に遭っているから、本気で書いたら楊逸なんか目じゃないのだがな。(付記:『文學界』九月号の高樹のぶ子との対談で、楊逸も子供の時に下放されていたと知った。それを小説に書けばいいのに)
 (小谷野敦