学歴ロンダリングについて

 こないだ触れた木村朗子さんだが、本を見ても、東大院言語情報修了とあるだけで、大学はどこを出たのか書かれていない。あとがきには、元は英文学をやっていたとあるが、どこでやったのか、全然分からない。荻上チキも東大院修了としか書いていなかった。昔からそういうことがあったのかどうか知らないが、佐伯さんだって今橋さんだって、学習院大卒、東大院修了と堂々と名乗っていたのに、なんで最近は隠す人が多いのであろうか。学者の履歴書というのは、だいたい高校卒業から書くものである。
 世間では「学歴ロンダリング」などというが、別に私大その他から東大の院へ行って悪いことなど何もない。むしろ、このように隠蔽することの方に疑念を感じる。院は東大でも、学部は成城だとか埼玉大だとか千葉大だとか弘前大だとか、いわんや京大だとか外語大だとかいうのが、恥ずかしいことででもあるのであろうか。
 

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佐藤優センセイ現在の連載
*『SAPIO』「SAPIO intelligence database」
*『月刊現代』「国家の嘘」
*『一冊の本』「ラスプーチンかく語りき」(魚住昭との対談)
*『文藝春秋』「インテリジェンス交渉術」 
*『PLAYBOY』「役に立つ神学」 
*『KING』(講談社)「野蛮人のテーブルマナー」
*『アサヒ芸能』「ニッポン有事!」
*『創』「ナショナリズムという病理」
*『文學界』「私のマルクス
*『新潮』「高畠素之の亡霊」
*『諸君!』「保守再建」
*『情況』「いまこそ廣松渉を読み返す」
*『産経新聞』「佐藤優の地球を斬る」
*『本の窓』「開国−私のナショナリズム
*『みるとす』(株・ミルトス)「イスラエル並びにユダヤ人に関するノート」
*『クーリエ・ジャポン』「海外ニュースの『楽しみかた』」
*『週刊東洋経済』「知の技法 出世の作法」
*『Will』「猫は何でも知っている」

ナショナリズムという病理」だって。自分はロイヤリズムという病理に罹っているだろうに。

ついでに中島ギドーの現在の連載
*『新潮45』「哲学者というならず者がいる」
*『群像』「「純粋理性批判」を噛み砕く」
*『野性時代』「没落日記」(小説)
*『本の旅人』「ウィーン家族」(小説)