長谷川三千子先生について

 私は実はこの半月ほど、困っている。というのは、長谷川三千子先生から新著をいただいたからである。実は長谷川先生は、「『細雪』とやまとごころ」などを含んだ『からごころ』を読んで感動し、『民主主義とは何なのか』や『正義の喪失』も読んでいる。それどころか、『バベルの謎』など、署名入りのものをいただいた。
 しかし、和辻哲郎文化賞をとった『バベルの謎』は、決して感心はしなかった。どこが聖書学的におかしいとか、そういうことは分からなかったが、たとえばやはりインチキである梅原猛の『水底の歌』が、初読の際おもしろかったようにおもしろくはなかった。
 さて、既に『なぜ悪人を殺してはいけないのか』に書いたとおり、長谷川先生は近ごろ、皇室に側室制度を復活させるという案に同意しない、と言い出した。実は私はかつて、皇室の側室制度復活はいかがですかと手紙を書いて、「そうすれば庶民にも範を垂れることになるでせうね」とうろ覚えだがそんな葉書をいただいた。
 天皇制は、近代的な人権思想を否定して成り立っている。従って、側室制度を復活するのが筋である。なぜ長谷川先生がこんなことを、と思い、私は批判した。その後再び、博士号を持っていない東大教授についても、長谷川先生は、自分の師匠らは持っていなかった、などと『週刊新潮』でコメントした。私が言っているのは、若い人にどんどん博士号をとらせておいて就職口もないのに、とらせる教授が持っていないのはおかしいだろうということだから、長谷川先生は問題をすりかえたのである。
 その後、『日本の有名一族』が出たので長谷川先生にもお送りしたら、実に愉快なお手紙をいただいた。そして、新著のご恵投に与ったのである。そして私は、お礼の手紙を書こうとした。だが、新著では、中島ギドーが褒めてあった。哲学科に同じ頃いたのだと思うが、ギドーは嘘つきであるから、感心しなかったのは言うまでもない。
 私は、「側室制度」のことやギドーのことはなかったことにして、お礼状を書こうとした。しかし、書けなかった。私には嘘はつけないのだ。かといって、先述のようなお手紙をいただき、ご著書をいただいておいて、論争的な手紙を書くのもまた、気が進まない。
 それで、未だにお礼は書けずにいる。
 本当のことを言う人だと思っていた人が、嘘つきになっていくのは、悲しい。
 (小谷野敦

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週刊朝日』の書評欄で池澤夏樹が、捕鯨禁止が世界の流れなのは分かっているが、鯨は食べたい、みたいなことを書いていて、おやおやと思った。片言隻句を捕らえるようだが、これでは「世界の流れ」には従うのが正しいように読めるし、そんなものは西洋キリスト教徒らの独善なのに、池澤ともあろう人が、である。
 「世界の流れ」の日本に与える影響もいろいろである。
1、死刑廃止が世界の流れ
2、禁煙化が世界の流れ
 「1」については、日本の輿論調査では依然として存置論が多数で、少数の左翼知識人が廃止論を唱えている。
 「2」については、別に日本でも多数派が同意しているわけではないのだが、運動家の声がでかいので多数派だと誤認している人が多く、新聞などで喫煙擁護をすると業務妨害みたいな抗議行動に出る(嘘つきウィキペディアが、言論弾圧などしていないと書いているのは、真っ赤な嘘)。そして知識人らはだいたい禁煙ファシズムに批判的だが、保身のために沈黙する人も少なくない。中心となっているのは例によって米国、英国、フランスである。