人に聞いた話だが、ある翻訳で「ポープ訳のオディッセイ」というのを「ローマ法王訳」としていたものがあるという。
ところが坪内逍遥も、リチャードソンの『パメラ』をローマ法王が絶賛して、聖書二十巻に勝るとした、と書いている(「稗史家略伝並びに批評」『日本古典文学大系明治編 坪内逍遥・二葉亭四迷集』)。よそではポープが、と書いているから、逍遥も混乱していたようだ。ところでこの文章で逍遥は馬琴を絶賛しており、『小説神髄』で馬琴を批判したのとほぼ同時期にこういうことを書いている、というのでこの逍遥選集未収録の文章の発掘が話題になったらしいのだが、一体に『小説神髄』というのは、明治期にそれほど読まれたのだろうか。逍遥が馬琴を批判したから馬琴が廃れたというより、西鶴熱が繰り返し襲って、次第に馬琴が軽視されていったというのが実相ではあるまいか。