城山三郎先生、明日は数えで八十一

本の旅人』での城山三郎先生の連載が、十一月号から復活した。しかし今度は巻頭ではなく真ん中へん。再開第一回は、「甘粕大尉のこと」である。以下大要だが、編集者と話していて「甘粕大尉」の名が出たが、彼は知らなかった。戦争中の少年兵には、その名のごとく天から舞い降りた人のようなイメージがあった(「天粕」のつもりで書いているらしい)。そこで私は書店をめぐって甘粕に関する資料を探したが、店員が知らない(いつのことだか分からない。今現在のようにも思えるが、城山先生が角田房子著を持っていないはずはないから戦時中のことのようでもある)。ようやく文献にめぐりあうことができ、誌上で甘粕と対面できた(これもいつのことだか分からない)。同世代の少年兵はみな甘粕に関心を持っていた。敗戦が続き(たぶんミッドウェー以後のことだろう)敗北感が広がると、甘粕は救国の英雄のように思われた。痩身でよく勉強した青年将校で、有名人で、女性ファンもいて、軍部の古い体質を打破しようとした(というような意味らしい文章が続く)。軍の構造改革を主張し、「暴走しそうな軍部にハラハラしている国民に救いを感じさせる存在にもなって行った」で、終わり。まるで次回につづく、みたいだが、次の十二月号はカナダのオーロラの話である。そちらは「勝手ながら私事から書き始めるのをお許し頂きたい」と始まるのだが、これは二ページ随筆で、いつも私事であり、この回も別段そこから公的な話になるわけではない。
 さて、甘粕のほうだが、もし若い何も知らない人がこれを読んだら、関東大震災後に大杉栄伊藤野枝、少年の橘宗一を虐殺して刑を受けたことも、それでも国民の間では支持が多く、のち満州国を牛耳る存在になったことも、全然分からないだろう。城山先生自身、石原莞爾と混同しているような趣もある。依然、まだらボケ状態が続いているようで、恐らく角川の担当編集者は「困ったなあ」と思い、巻頭をやめて真ん中へ持ってきて、それでも毎回ハラハラしているのだろう。
 ところで城山先生の代表作『落日燃ゆ』は、東京裁判で絞首刑になった広田弘毅伝だが、あまり「保守派」の人が、広田礼賛を口にしないことに気づいた。というのは、「広田は裁判で自己弁護をしなかった。それは天皇に累が及ぶことを恐れたからだ」ということになっており、広田を褒めると「実は天皇も有罪だったのだが」ということになってしまうからだろう。
 城山先生、よいお年を。