「昔は良かった」の迷信

 秋田の北のほうのヤンキーあがりママの殺人事件で、昔はこんなふうにワイドショーやマスコミが騒ぎ立てたりしなかった、などと言っているバカがいる。
 冗談ではない。マスコミが未発達だった徳川時代でさえ、人々はゴシップには飛びついた。いわんや明治から昭和初期なんて、名誉毀損だのプライバシーだのの概念が発達していないから、一般人の私的不品行でさえ堂々と新聞に続き物で書かれたりしたものだ。有島武郎の『或る女』なんて、今だったらモデルであることの明らかな佐々城信子に訴えられてたちまち絶版・回収である。
 だいたいこの手の「昔は良かった」言説は、ロマン主義に淵源する、単なる思い込みか迷信である。玄田有史内藤朝雄が、ともに、「昔はニートのような存在も共同体に受け入れられていた」などと言ってしまうのは、歴史をちゃんと勉強していないからである。未開民族がいかに暴力的だったか、あるいは神経症のような病気は未開社会でもいかに多かったか、学問的には明らかにされているのだ。
 もちろん、昔は交通事故で一日に二十人が死ぬなんてことはなかったから、個別にはいいこともあった。
 あとは、コンドームなんかなかった時代について「性的に日本人は大らかだった」とかね。
 しかし不思議とこういう過去美化の過ちを新聞などで指摘することがない。つくづく新聞ってのは、バカを増やすメディアだね。