「思考の整理学」(外山滋比古)アマゾンレビュー

2023年1月13日に日本でレビュー済み

 
著者が60歳の1983年の、つまり40年前の本なので、カードとかノートとか現代に合っていないのは仕方ないとして、対象読者が学生と学者にかたよっており、普通の勤め人に当てはまらない。朝食を抜いてブランチをとりそのあと寝ろなどとあるのがそれだ。人間の知性をグライダー型と飛行機型に分けるのも、確かに学生時代優秀でのち伸びない学者などはグライダー型なんだろうが、あまりいいたとえとは思えない。第一に著者は学問というものを「ひらめき」でするものだと思っているようだが、学問は調査によってやるものである。大正時代に島田清次郎が一世を風靡し、夏目漱石は軽く思われていたとあるがこれは一知半解の誤りで、島清は当時から文壇ではバカにされていたし、漱石はやはり尊敬を受けており今後も読まれるだろうと思われていたから、久米正雄と松岡譲の婿争いが起きたのだ。最後のほうの、塩分は少な目にといった健康についてのあたりだけが有用と言えようか。

音楽には物語がある(49)「veni,vidi,vici」とベルリオーズ 「中央公論」1月号

 先日から塩野七生の『ローマ人の物語』を読んでいて、今アウグストゥス歿後のところまで来た。これは一九九二年に刊行が始まったものだが、私は読もうと思いつつ、どうも古代ローマというのは興味がわかず放っておいた。古代ギリシアの悲劇や神話やホメロスは好きなのだが、ローマはオヴィディウスとかホラティウスとか、ホメロスのようには面白くない。このシリーズは女性読者に人気があるようで、どうも古代ローマ現代日本では女性向けのようだ。

 塩野はカエサルにずいぶん肩入れしているが、私はやっぱりカエサルが偉いとは思えず、カエサルを殺したキャシアスやブルータスのほうが偉い人だと思ってしまった。クレオパトラについても、何だか昼メロみたいな人だと思った。

 するうち、カエサルの「veni, vidi,vici(来た、見た、勝った)」という言葉が、ポントス王との戦いの時の言葉だと知って、存外マイナーな場面でのものだったのだな、と思っていたら、確かオペラの合唱曲で、この「veni.vidi.vici」が入っているのがあったのを思い出した。メロディは歌うことができるので、YouTubeでオペラの有名な合唱曲をあれこれ聴いたが、見つからない。これは確か、一九八一年の秋、予備校へ通っていた時に秋葉原石丸電気三号館で買ったレコード「オペラ合唱曲集」に入っていたはずで、そのレコードは書庫にしてある近くのマンションにあるのだが、いくら探しても見つからないことにいらだった私は、夜十一時過ぎに自転車で五分くらいの書庫へ駆けつけて、そのレコードを探し出したら、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」の中の、兵士と学生の合唱だった。どうも、あまり有名な合唱曲ではないらしいので、ベルリオーズびいきの私はちょっとがっかりした。

 ところでこの「ヴェニ、ヴィディ、ヴィチ」は、日本でへたな日本人に言うと、間違いなく「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」と訂正されるだろう。「ヴェルギリウス」とか「オヴィディウス」とか書くと、神経質に「ウェルギリウス」「オウィディウス」と訂正し、ダンテの『新生』を「ヴィタ・ヌオーヴァ」と発音すると、「ウィタ・ヌオーウァ」と訂正するのが、日本のラテン語知りの弊害なのである。しかし西洋人はそんなことは気にしないで「オヴィッド」「ヴァージル」とやっているし、塩野七生も気にしないで「オクタヴィアヌス」と書いている。

 ところでイタリアといえばオペラの本場で、モーツァルトの『フィガロの結婚』もダ=ポンテ脚本によるイタリア語オペラで、ロッシーニプッチーニもおり、私はプッチーニの「マノン・レスコー」や「トゥーランドット」が好きだが、イタリア文学となると、どうもダンテの『神曲』とか『新生』がそれほどのものとは思えない。のみならず十九世紀のマンゾーニ『いいなずけ』も大味で面白くないし、二十世紀のアルベルト・モラヴィアもどうもいいと思わない。イタロ・カルヴィーノなど『まっぷたつの子爵』とか『木のぼり男爵』とか、読んでみると題名通りのことが描かれているし、最近有名になったブッツァーティもそれほどでもない。ルネッサンス期のボッカッチョなども、西洋人はなんでこう「寝取られ話」が好きなんだろうと思う。映画でも、ヴィスコンティは「家族の肖像」とか、デ=シーカの「自転車泥棒」とか好きなのはあるのだが、フェリーニがそれほど偉大だという気がしない。

 塩野著を読んで分かったのは、古代ローマ人は学問はギリシア人に任せていたということで、文学もやはりギリシアのほうが優れていて、ローマ人というのは政治とか実業とかをやる、今でいう実務家的な人たちで、それが現代まで続いているのではないかという気がした。音楽や美術はそうでもないが、古代ローマといえば彫像が多いが、当時彫刻というのは奴隷の仕事で、だからギリシアのように有名な彫刻家はいないそうである。

 

故郷七十年 (講談社学術文庫) 柳田国男 アマゾンレビュー

皇国史観とか
星3つ 、2023/01/02
私は柳田国男が嫌いだが、1958年から神戸新聞に連載されたこれは自伝でもあり、文章も昔より平易でいいと思った。しかし新体詩人であったことと、失恋をきっかけに文学をやめたことは前から言われていた通り書いてない。そういう不正直さはやっぱり嫌である。さらに後半は自伝ではない民俗学雑話になるが、日本人が南方から渡来した説に固執して、騎馬民族説を批判するところで、皇室が皇室がと言っていて、縄文時代弥生時代もないから、この人は2600年前に高天原天孫降臨したとでも思ってるんじゃないかと思い、げんなりしてしまった。やっぱりこの人は嫌いだ。

「水俣曼荼羅」アマゾンレビュー

天皇登場で台無し
星3つ 、2022/12/17
はじめはだれて長いなあと思うが、中盤から面白くなってきて、熊本県環境省との対決は白眉なのだが、そこへ天皇水戸黄門みたいに出てきて、いっきに台無しになる。別に原一男が悪いわけではなく、原は石牟礼道子の手前勝手な発言を入れて批判しようとしているんだろうが、いかんせん。天皇のところはざっと飛ばしても良かったんじゃないか。そうも行かないか・・・。

 

ホンネとホント

 私は大学四年の時に、地元の出身中学校で二週間の教育実習をしたのだが、成績はBで、きっといい成績ではないのだろう。結局、「教育原理」を落としてしまい、朝一限に家から遠い駒場で開講されるこれを再度履修できず、教員免許はとらずじまいになった。

 その教育実習の時、最後にサッカーの試合をやるということになり、私も参加するように生徒たちから言われた。私は困りながら「私がボールを蹴ると、その行先は神様しか分からない…」と笑いながら言ったのだが、その後担当の若い女性の先生に、「小谷野先生も楽しめる試合にしたい」などと生徒が書いたのを見せられて、「私の言いたいことは分かりますね」と言われ、「はあ…」と仕方なく答えたが、「ホンネで接していい場合と…」と女性教員は言った。私は「ホンネじゃないんだ、ホントなんだ」と内心で叫んでいたが、まあそういうことが積み重なってのBであったという気がする。

小谷野敦