スピンクスのインチキ

スピンクス「朝は四つ足、昼は二本足、夜は三本足、これなーんだ」

旅人「・・・うーん、分からん」

スピンクス「ではお前を食うぞ」

旅人「待て、答えを教えてくれ」

スピンクス「人間だ。生まれた時ははいはいしている。老人になると杖をつく」

旅人「それは朝、昼、夜じゃないだろう。生まれたてとか老後とか言わないとダメだろう」

スピンクス「いや、それだとばれてしまうので・・・」

旅人「インチキなやつだな。帰るぞ」

凡庸でないと嫌われる

綿野恵太君の新刊『みんな政治でバカになる』をざっと読んだ。綿野君と私は、天皇制反対で九条改憲論という立場をともにしているが、綿野君は前者は前著で明らかにしたが後者は著書ではまったく言わない。この立場は嫌われるからで、孤立するからである。私も、もし九条護憲論になったらツイッターのフォロワーは一万人を超えるだろうと思っている。

 嫌われても本が売れたらいいが(ビートたけしのように『だから私は嫌われる』と言いつつ実は嫌われていなかったり、『嫌われる勇気』みたいに実際には嫌われていないのもある)、普通は嫌われると本が売れないので、綿野君も自分の政治思想は出さないように苦労して本を書いている。

 考えてみると日本は政治的には特殊な国で、天皇制廃止と九条改憲というのは別に矛盾するわけでもないのだが、こういう正しい立場をとると孤立してしまう国というのは見渡したところ見当たらない。日本では多くの人が、「容天、九条護憲」という凡庸な立場へ、仲間を求めてわらわらと入ってきているというのが実情である。

 綿野君の本は抽象論が多くて難しいのだが、それはこういう、ホントのことを言うと嫌われるという理由によるとお察し申す。

「走れメロス」と「トリビアの泉」

ようつべで「トリビアの泉」を観ていると、2004年の放送で、太宰治の「走れメロス」は、太宰自身が借金を返すために走り回ったことを小説にしたものだと言っていたが、これは「ガセビア」である。

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檀一雄の『小説太宰治』に書いてあるというのだが、「走れメロス」が古代ギリシアのダモンとピチアスの話をシラーが詩にしたのを太宰がそのまま小説にした、まあほぼ盗作であることは、この当時だって分かっていたし、猪瀬直樹の『ピカレスク』のようによく読まれた本にも書いてあった。私も太宰がネタにした『新編シラー詩抄』の訳者・小栗孝則を主人公に「「走れメロス」の作者」という小説を書いたこともある(『東十条の女』幻戯書房所収)。

 この時は、荒俣宏MEGUMIも参加しておらず、異論を唱えそうな人がいないところでガセビアを広めるのは実に許しがたいことであると思った。さらに許しがたいのは、専門家として登場してこのウソを認知した中央大学教授(当時)の渡部芳紀である。

小谷野敦

 

 

「ウルトラマン」ダダの回のグダグダ

こないだ「ウルトラマン」のダダの回「人間標本5・6」を観たら、山田正弘のシナリオがグダグダだった。だいたい題名の「5・6」が何だか分からない。冒頭は峠での連発するバス事故なんだが、これをダダが仕掛けて、バスの乗客を人間標本にしているということになりそうだが、イデは乗っていて普通に病院に行っているしそうでもないらしい。捜査のために科特隊に依頼がいきムラマツとイデがバスに乗ったのにあっさり転落事故にあってしまい科特隊何の役にも立たず。ムラマツと謎の女が「投げ出された」とかで傷一つなく、二人ともそのまま近くの研究所を訪ねるとそこがダダに占領されていて、三つ顔があるから三匹いるかと思ったら一人だったというのがネタだが、一人でこんなところどうやって占領したんだ。

 ハヤタは、セブン以後の変身隊員と違って戦闘隊の古株だから、ムラマツがいないので自分がアラシとフジの指揮をとる、と言いつつ、ダダが出たと知らせを受けると二人に知らせもしないでいきなりウルトラマンになって飛んで行ってしまう。しかもダダはいっぺんスペシウム光線で倒したのに、尺が足りなかったのかまた出て来て二度戦っている。これじゃタロウなみのシナリオだ。

 最後にアラシとフジがかけつけると、ムラマツが「怪獣はウルトラマンが倒しちゃったよ」と笑いながら言い、そこへ意味不明にハヤタが現れて、これじゃ正体見破ってくださいと言わんばかりである。

著書訂正

谷崎潤一郎伝」(文庫)

p、20「戦前、こんな実名をあげたら軍人誣告罪に問われてしまう」→

 

 

軍人誣告罪」などというものは存在しない。のち石坂洋次郎について気づき何度も注意喚起してきたのだが、自分が使ったのを訂正するのを忘れていた。

「異人たちとの夏」の私小説性

 

 

 

 

映画「異人たちとの夏」を久しぶりに観たがやはり面白かった。これはカナダから帰国した92年ころにビデオで観て、それから山田太一の原作も読んだはずだ。これが映画になっているのを知ったのは、『ぴあ ピープルズファイル』という、当時活躍中の文化人のカタログで、特殊メイクの原口智生がとりあげられており、そこに幽霊のような顔の女の写真がついて「映画「異人たちとの夏」でも原口の技術が・・・」とか書いてあったからなのだが、映画にはその幽霊女が出てこなかったから、おかしいなと思ったもので、別の映画のものだろう。

 「異人たちとの夏」は1987年の山田太一の小説で第一回山本周五郎賞受賞作だが、山田は当時53歳で、シナリオとしての代表作「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などはそれ以前のもので、このあとはさしたる作はなしていない。

 「異人たち」の主役は40歳になるテレビのシナリオ作家で、浅草出身、12歳で両親を亡くしたが、浅草をふらりと訪れて両親の亡霊に出会うという話で、「牡丹灯籠」を下敷きにしたマンションの女の亡霊も出て来る。

 山田太一も浅草出身で、両親を亡くしたとは思えないが、顔もいいし、女にももてたろうし、浮気や不倫もあったろうし、女が自殺未遂するくらいのことはあったろうと考えると、この幽霊話も割と私小説風味が強いんじゃないかと思った。映画では永島敏行が演じていた後輩のシナリオ作家が、この映画のシナリオを書いた市川森一なんじゃないかという気さえする。

 その市川も、監督の大林宣彦も鬼籍に入った。私はどういうわけか大林宣彦が撮ると幽霊話でも認めてしまう。

書評被害録

日本では書評というのはたいてい褒めるものだが、私はわりあい悪意で書かれたことや、妙に事実と違うことを書かれたことが多い。しかるべく権力者に阿ねらないのがいけないのか、内容が気に入らない人が多いのか、両方だろう。

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