文藝評論の終わり

ロシヤ文学者・小泉猛の「「瘠我慢」と「我慢」ーー江藤淳批判」’『早稲田文学』第8次、1978)というのを見つけたので取り寄せて読んでみた。かねて私は、福沢諭吉の「瘠我慢」の説について、痩せ我慢は我慢とどう違うんだろうと思っていたせいもあるし、小泉というのがどういうことを書くのかというのもあるし、江藤淳は研究対象でもあるからだ。

 すると冒頭に、江藤の「勝海舟と私」からの引用があった。

「「痩我慢」などする必要はない。ただ人は「我慢」すればよいのだ。そうすることが人をふるい立たせるとすれば、それは「我慢」することのなかに、おそらく人の到達し得るもっとも正確な認識が秘められていて、その認識が心をいつも躍動させるからである。・・・」

 とあり、小泉は「これはたいへん面白い文章です。読めば読むほど面白い文章です」としており、私もそう思った。

 江藤は、「痩せ我慢」という語の「痩」という字に得も言われないベタつきと隠微な甘えがこめられている、と書いているという。そして、「痩せ我慢」などするのは「無意識な偽善者」だとくる。そこへ小泉が、すると漱石的な女の子は「無意識な偽善者」で、森鴎外のような「意識的な偽善者」があって、江藤淳はその両者の間を右往左往してきた、という。小泉は、江藤の、漱石小林秀雄勝海舟福沢諭吉に対する態度に、ベタつきや隠微な甘えがあるんではないか、と論を進める。

 ちょっと首をかしげていると、甘さはダメだと言いつつ甘えてきたのが私小説だ、といきなり私小説批判になる。そして江藤を私小説擁護の徒のように批判していくのだが、私には江藤はあまり私小説擁護派に見えない。滝井孝作の『俳人仲間』をベタぼめしていたことがあったが、あれは「73年三羽ガラス」の辻邦生、小川国夫を「フォニイ」と言った返す刀である。あとは「女の記号学」で近松秋江を長々と扱ったことがあるくらいで、江藤は、私小説礼讃のようなことをしたことがない。だいたい江藤というのは、漱石は礼讃するが、どういう小説がいいと思っているのか明らかにしたことがないのである。

 結局、文藝評論というのはこの程度のものであったかと私は改めて思ったのである。まともに作品を評したら、文学研究と変わりはなくなる。それで柄谷行人マクベス論を書いたが、あれは連合赤軍事件を暗喩したものだという暗喩文藝評論というのもあり、しょせん文藝評論というのは暗喩みたいなものでしかなくなり、今では消え去ったも同然である。今は時評のほか、研究論文と違う文藝評論などというものは存在しない。文藝雑誌に「村田沙弥香論」みたいなものは載るけれど、学者に書かせても同じものを書くだろうというようなものでしかないし、『成熟と喪失』みたいに、同時代の小説を並べて、今の時代はとやってみせるのも、読む価値はないだろう。

 私は小泉猛の昔の論を読んで、文藝評論というのは終わったんだな、と思ったのであった。

小谷野敦