節子の恋(6)島崎藤村「新生」リミックス

 ある日、節子は病院へ行くと言って家を出てから愛宕下の方へ岸本を訪ねた。幾晩となく碌に休まないという看護の疲労や、母の病気の心配や、それらのものに抵抗しようとして気を張っていなければならない境遇から遁れて、ほんの僅かの息を吐く時を岸本の側へ見つけに来たのであった。思えばそんな岸本もかつては三人の子と妻とを続けて失ったのであった。
 「俺はお前のことを心配していた……そんなに幾晩も休まなかったら、後で弱るぜ」
 と岸本は言って、激しい底疲れのために苦しそうにしている節子の顔を見守った。
 「でも、おっ母さんが入院してから、お前も余程楽になったろう――」
 「それがですよ、私でも附いていませんとお母さんが愚図々々言いまして――それに夜は寂しがりましてねえ。ですから私はお母さんの側へ行って泊ってあげることにしていますよ」
 「輝にでも代って貰えばいいじゃないか」
 「ええ、姉さんも来てくれますが、何しろ子供がありますからねえ。私の家の方にはいざという場合に、ほんとうに頼みになるような人はありません……」
 節子は帯の間に手を差入れながら俯向いた。
 「節ちゃん、どうだねえ、お前の『創作』はこういう時の役に立ってるかねえ」
 「その力一つで私はもってるようなものなんですよ……」
 と節子は言って、ホッと深い息をした。
 やがて節子は自分の子供のことにちいて、例の女医から聞いた消息を岸本に話し始めた。節子は父に内証で、いずれ折を見て自分の子供に逢おうと女医に約束したことや、幼年画報なぞを買ってそれとなく子供に贈るつもりで女医に託したことや、最早子供が字なぞを書くようになって仮の親たちから末頼もしく思われているという女医の話なぞを岸本にして聞かせた。
 しばらく節子は、自分の子供の話に時を忘れていた。
 「そう言えば、もう病院へ行かなきゃなるまい。お母さんもお前を待ってるだろう」
 と岸本の方で節子を促したほどであった。
 「葡萄酒でも飲んでおいで」
 と言いながら、岸本は部屋の隅にある茶戸棚の方へ立って行った。そこからボルドーの罎を取出した。彼は自分でも仕事の疲労を忘れるために買って置いたその好い香気のする興奮剤をひどく疲れている節子に飲ませた。
 二日ほどして、節子が病院へ母を見舞うと、前日岸本が来たとの話だった。その日は、あとから岸本がやってきた。
 「へえ、節ちゃんは何か読んでるね」
 と岸本は部屋の隅にある置戸棚の前に立って行ってそう言った。母の看護のかたわら節子が病院で夜を送る時の心やりと見え、ルソーの「懺悔録」の翻訳などが読みさしの栞の入ったままその戸棚の上に置いてあった。
 しばらく岸本はその病室で時を送った。医局の方に懇意な博士を訪ねて病人のことを頼みにも行って来た。そして、節子をちょっと病室の外へ呼んだ。そこには、看護婦等の往来する長い板敷とは少し離れた別の廊下があり、そこへ二人は立った。岸本は、
 「実はおっ母さんに、お前と俺とのことを白状した手紙を書いて、持ってきたんだ」
 と言った。節子は顔つきを緊張させて、
 「やはり、そりゃ書いた方がようござんすよ。口じゃ言えませんからね」
 と言って、頭に考えが去来したので、ガラス戸の外を眺めながら立っていた。
 「じゃ、行こう」
 と岸本が病室の方へ節子を誘おうとした時は、さすがに狼狽の色が彼女の顔に動いた。節子は岸本について病室に入ると直ぐ窓の方へ行った。岸本が病人の側に立って看ている間に、節子はもう窓際で涙ぐんだ。
 「姉さん、私はあなたに読んで頂くつもりで、手紙を書いて持って来ました。後でこれをご覧なすって下さい……」
 この言葉と、詫の心の籠ったお辞儀と、手紙とを残して、間もなく岸本は病室を出た。節子はしかし、その手紙を自分の手元に置いた。
 その午後、父もやって来て母の手術が行われた。
 節子は岸本のところへ電話をかけた。手術後、病人がまだ休んでいることや、父も来ているということなどを話した。
 「今朝置いて来た手紙を姉さんは見て下すったろうか」
 と岸本が訊いた。
 「見ません」
 「あ、そうか、見なかったのか――」
 「預って置いてくれと言いますから、私がお預りしておきました」
 しかし節子は、そっと手紙を母に見せた。母は黙って節子にそれを返してきた。
 母の容態は、しかし好転せず、一日々々と衰えて行き、医者の手当ても節子の看護も、どうすることもできず、手術後十日ばかりの頃には、病人の死を待つばかりのようになった。
 四月に入って、母の容態はさらに危険なものになり、節子は岸本宛に手紙を書いた。母親の容体が急激に変って来たことを知らせてよこした。岸本がやってきた時、節子は看護に疲れた顔を泣き腫していた。義雄も輝子も急いで集まって来た。母はすでに死に瀕しており、何を見るともなく見張ったその大きな眼は僅かに他の人から岸本を区別することができたようだった。絶え間のない荒い呼吸、医者や看護婦の部屋を出たり入ったりする音なぞが何となく臨終の近いことを思わせた。
 根津からは祖母さんが一郎と次郎を連れて別れを告げに来た。
 「次郎ちゃん、もっと側へいらっしゃい」
 と輝子が言添えた。
 「お母さん、次郎ちゃんですよ」
 と節子は母親の耳に口を寄せて言った。
 「次郎ちゃんがよく見えますか」
 「ああ見える。次郎ちゃんもよく来たね」
 と母は苦しそうな息の下で言って、次郎の方へ痩せ衰えた手を差し延ばした。祖母さんはその側に跪いたまま自分の娘の方を見て掌を合せていた。
 母はほかに人のいない時、節子に、
 「叔父さんから手紙が来てる、あの手紙は人が見るといけない、焼いてしまえ」
 と言った。
 日の暮れる頃、泣き泣き病室を出て来た一郎は次郎と共に祖母さんに連れられて誰よりも先に帰って行った。
 「叔父さんは居るかい」
 と母が言い、続けて何か言おうとしたが、声は激しい呼吸に変ってしまった。
 節子の母親は病院に二十二日いて亡くなった。病院の規則として、そこの病室で亡くなった者は病院から火葬場の方へ送り、骨にして遺族へ渡すまでの面倒を見ることになっていた。
 岸本が懺悔の稿を起こしたのがその日であったことを、やかましい嫂の目がなくなったからだ、とのちに言う者もあった。しかし、懺悔録を書く決意を聞いた節子には、その邪推は当たっていないと思われた。
 「二人していとも静かに燃え居れば世のものみなはなべて眼を過ぐ」
 節子は岸本宛の手紙にこんな一節を添えた。
 これまで、節子にはたびたび縁談が持ち上がったが、節子が拒み、母が味方をしてくれたため成立しなかった。
 ところが、その母がいなくなり、節子も一時の体調の悪いのが回復してきた。父の友人の布施というのが、縁談を持ってきて、父が乗り気になった。だが節子は当然ながら承知せず、
 「虚偽の結婚」
 だと父に言った。父は呆れて、
 「虚偽の結婚とは何だ。誰だってそういう風にしてお嫁に行く。中根が輝を貰う時だって、先方で俺の娘を見たこともないし、輝の方だっても知らずにいた。それでも結婚してみれば、あの通り幸福な家庭を造れる。まあ誰が見たって、あれなら申し分の無い夫婦というものだサ。どこの誰だって、女と生まれて来て、今日お嫁に行かないようなものはない。もしあれば、そんなものは片輪だ。俺の田舎には何百軒という家があって、一人としてその家に結婚しないような女はいない。一箇村の中でただ一人結婚しない女がある。お霜婆さんという女だけが一生独りで暮した。それだけだ。それ見ろ、結婚しないなんてことは人間の仲間に入れないことだ。一度はお嫁に行かんけりゃ成らん。一度行って、出て来たものなら、またそれでもいい。一度も行かんという法はないサ。例えばだ、嘉代の死んだに就いて諸方へ通知を出したろう、この葉書の裏に親戚総代として岸本捨吉と連名になっている田辺弘とあるのはこれはお節さんの旦那さんの名ですかなんて、田舎の方へ行っても直ぐにそんなことを訊かれる。世間というものはそういうものだサ」
 節子が、宗教生活に入るつもりだ、と抗弁しても、
 「今さらそんな下手な哲学者の悟りを開いたようなことが言えるか」
 と父は激高し、
 「嫁にも行かないようなものは不具のほかにはない、不具のようなものは養う義理もない、最早親でもなく子でもない、今すぐ出て行け」
 と言ったから、
 「これ程お願いしても聞いてはもらえないのですか」
 と訊くと、「勿論」
 と大きく叱られ、いっそ家を出てしまおうと思い、挨拶して父の前を退こうとした時、待て、そこへ坐れと言われて、さんざん説教をされた。
 節子は泣きながら出て行く支度など始めた。岸本からの手紙などもまとめておいた。
 持て余した父は、翌日岸本を訪ねて行き、節子を説得してもらおうとしたが、岸本はそれを拒んだらしい。
 父の帰って来る頃には輝子も電話で呼びよせられ、父と姉との間にいろいろな話が出た。そして姉を通して、無理には勧めないというだけの父の答を聞いたが、この間に立って皆を言い宥めたのは祖母さんであった。
 節子はこの間の事情を岸本に手紙で書いた。最後まで忍ぶものは救わるべし、自分は今可成張りつめた心でいられる、と書いた。

(つづく)