宮崎哲弥の夫婦同姓論

 『週刊文春』の宮崎哲弥の連載「時事放弾」は、なんだか懸命に橋下の話題を避けているようなのだが、今回は夫婦別姓論についてである。伊達蝶江子(ちえこ、生年不詳)の『女姓婚のススメ』(メディアファクトリー、2011)を紹介している。宮崎哲弥は旧姓名で、今は妻の姓を名のっているということである。
 宮崎は十数年前に八木秀次と共編で『夫婦別姓大論破!』(洋泉社)を出しており、夫婦別姓論者はこれを黙殺して今日に至っている。ただ現在の目から見ると、この本は、夫婦別姓は家族の絆をゆるめる、みたいなことも書いてあって、私はあまりそれは重要な点ではないと思う。
 伊達の本はまだ見ていないのでこれから見て違っていたら訂正するが、「女の姓を名のるのは婿養子とは違う」といい宮崎も祖述している。しかし、川端香男里川端康成の養女と結婚し、婿養子にはなっていないが、東京へ戻ってからは、康成夫婦と同居(二世帯住宅)し、事実上川端の継嗣となっている。男が結婚に際して女の姓に変えるのは、たいていは「一人娘だから」という相手方の要請によるのであり、女方の親と同居し、子供が出来たらその姓を名のり、その「家」の継嗣と見なされ、墓参りなどをさせられるのだから、実質上「婿養子」と変わらないのである。
 夫婦別姓の最大の問題は、子供の姓であって、子供を作らないとかできないとかいう夫婦の場合、別姓だろうが同姓だろうが実は大して変わらない。だが、結婚する際に、子供は決して作らない、できたら死刑になる、などというわけにはいかない。
 私が夫婦別姓に反対するのは、一にかかって、家名を残そうという女側、あるいはその親の陰謀がかなりの程度に混じっているからである。宮崎は最後に、結婚に際しての新姓創出、ないし複合性を提案しているが、複合性の場合、理論的に、次の代で四つの複合性になり、その次は八つというとんでもないことになる。ヒラリー・ローダムがビル・クリントンと結婚してヒラリー・ローダム・クリントンになったとして、その子供が仮にジェイムズ・ローダム・クリントンになって、やはり複合性のエリザベス・ホワイトヘッド・ブラウニングと結婚すると、ジェイムズ・ホワイトヘッド・ブラウニング・ローダム・クリントンになるのであるか。これじゃ昔の王侯貴族だ。
 実は宮崎は、新姓創出、と書いて、夫婦別姓論者の中の、家名存続の陰謀に挑戦しているのである。野田聖子が、新姓創出を提案されたって、あの人はとにかく野田姓の子供を作りたいだけなんだから、困るだろう。宮崎の文章というのは、なかなか解読が難しいのである。
(付記)『女姓婚』見たが、トンデモ本だった。論理の展開がめちゃくちゃで、自分に都合のいい例をあげたり、何の裏づけもなく断言したりしていて、あれを通読できるのは単にそれを望んでいる人だけだろう。