昭和7年に横光利一の「母」を評した森田草平の文藝時評(朝日新聞)には、「昔の大谷崎君を思はせるやうな」という一節がある。これを見ても「大谷崎」が、弟精二との区別のための「だいたにざき」であることは分かろう。偉大な「大谷崎」に「君」づけはなかろうからだ。なおこの文章は川端康成の文藝時評に引用されている(『川端康成全集』第31巻、59p)。
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太宰治と心中した山崎富栄は、美容師として成功した山崎伊久江(初代)の親戚だという。そこで調べてみた。松本侑子『恋の蛍』によると、富栄の父・山崎晴弘は、三輪家に生まれて山崎家の養子となり、黒川信子と結婚、理髪の研究所を設立。富栄は奥名修一と結婚するが奥名は戦死、三鷹で美容院を開いていて太宰と知り合うという流れだ。
一方伊久江のほうは、『真昼を掴んだ女』という自伝があって、それによると、福島県安積の三百年続く地主・遠藤家に生まれ、初名をナミ。三人の姉と四人の兄弟があったという。上京して山崎晴弘のところで理髪を学び、のち晴弘の末弟である留吉の息子の達夫と結婚、改名して山崎伊久江となった、とある。
しかし分からないのは、留吉というのは、三輪家から入った晴弘の実弟なら山崎姓はおかしい。そこのところが、『真昼を掴んだ女』では分からず、松本も追及していない。なおこの人のことが気になるのは、郡山の遠藤というと、遠藤節を思い出すからだが、http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20110602/p1 特に関係はないらしい。
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ところで私は例のアインシュタイン本の下巻をまだ見ていない。回収されてしまったから、近所の図書館にも、書店にも、上巻しかないのである。それで、監訳者の言葉が確認できずにいる。こういう場合、不良品だからというので書店から回収するのはいいが、検証のためには図書館には残しておくべきではないか。
これは実は機械翻訳の問題ではなく、本質は、締切というのを守らないことを美徳とするがごとき、一部学者の心性が問題なのである。彼らは、論文集にせよ翻訳にせよ、締切というのは、それから催促が来て仕事を始めるきっかけとしか思っておらず、締切を過ぎて、まだできないのかと言われると逆ギレするのである。そのことは『文学研究という不幸』(ベスト新書)にも書いたのだが、あの本が一部学者の怒りをかったのは、そのせいもあろう。ただし彼らは絶対公にはそういう習慣を認めないだろうが。