レッシングの戯曲『賢人ナータン』を読んだ。これで古典制覇に一歩近づく。
レッシングといえば『ラオコーン』が有名だが、私はこれは東京から大阪へ向かう飛行機の中で読んでいて、頭上の荷物入れがガタガタいっていたのが恐ろしくて全然頭に入らなかった。
 18世紀ドイツ文学、しかもゲーテ以前となると、もう何も知らないと言ってもいい。クライストなんかもそうだ。
 この戯曲は、1192年、イスラム教国の王サラディンが十字軍と休戦した年のエルサレムでの一日の出来事を扱っており、古典的劇である。ユダヤ人の賢者ナータンとその娘レーハ、神殿騎士の青年などが登場し、キリスト教イスラム教、ユダヤ教という三つの啓典の教えを融合させようという思想的意義をもった戯曲であると説明されている。
 しかし、そんなことはあまり興味がない私は、神殿騎士がレーハに恋をし、サラディンがそれをとりもって、どうやら結婚できそうになったかと思うや、実はレーハと神殿騎士は兄妹であるのみか、サラディンの行方不明になった弟の子らだという結末で、唖然としたのである。
 兄妹では、結婚できないではないか。ところが、神殿騎士はそれを嘆かないのである。喜んで、妹よ、なんか言うのである。
 私は訳者解説に、その点について説明があるかと思ったが、篠田英雄はそんなことは全然気にならないらしく、読者は涙するであろう、とか書いているし、シェイクスピアのようだ、なんて書いている人がいる。冗談ではない、シェイクスピアは、恋する人が妹だと分かって喜ぶ男なぞ描きはしない。

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http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news007944.html
いつもからんで申し訳ないのだが、

若者たちの海外経験への意欲はしぼんでいるようで、ある討論番組では、外務省に入省したのに海外に行きたがらない人がいるという驚くべき指摘も。

 えーとその一例だけで、「ようで」とか、そういう豪胆な結論を出しているのでしょうか。また意欲があっても資金がなければ行けないわけで、なんか時おりこういうマリー・アントワネットになるのだこの人は。
 昔であれば、外務省に入って海外へ行くとなるとお嫁さん探しをしたもので、それが恋愛結婚主流になった現代ではそう簡単に行かないとか、そういう事情もあると思うのであるが。
 あ、それで、こないだのラジオから「アーモスト大学」と言っていて、アマーストじゃないのかなあと思ったのだが、同志社ではアーモストということになっているらしい。
http://www.doshisha.ac.jp/information/history/amherst.php