文化手帖

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 ああ、配っているのか。私はもう15年くらい毎年この「文化手帖」を買って使っている。初めは八重洲ブックセンターで見つけて買ったのかな。最近は潮に直接注文している。なぜかアマゾンとか潮のウェブサイトにも載っていないから。コメント欄で「センチュリータイプ」と書いている人がいるけど、違います。「資料つき」というやつで、アマゾンでは買えません。
 しかし文春の『文藝手帖』だって『文藝年鑑』だってこの程度には載っているし、この産経の記者は知らないのかな。三笠宮だって『文藝年鑑』に載ってるよ。まさか当人の了解は得ているわけだろうし、驚愕することか。なお私は載っていない。「草野唯雄」が「く」の部に載っていたから、「そ」じゃないかと教えたら今年から直っている。
 さすがに、志茂田景樹は載っていない。

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長部日出雄が右傾化している。『「阿修羅像」の真実』(文春新書)を立ち読みして、ここまで行っちゃったか長部さんと思った。私は長部さんの太宰治伝『桜桃とキリスト』を絶賛してお葉書を貰ったことがある。この本も全編に皇室礼賛が満ち満ちており、それは美智子さん崇敬の念から始まったといい、光明皇后を論じて亀井勝一郎に触れ、美貌の皇后こそ阿修羅像のモデルではないかとするものだが、私が指摘した滝川政次郎の、光明皇后皇位簒奪には触れていないが、知らないのだろう。まあこれはもう老いておかしくなったと考えるしかないだろう。

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『文学研究という不幸』の悪口を言っている連中というのは、大別すれば、
1、「文学」と「文学研究」を混同して、私が、文学はもう終わりだと言っていると思って笙野頼子的に憤激しているやつ。ないし、混同していなくても、文学研究の未来を素朴に信じているか、『ある学問の死』のスピヴァクのように、政治的公正さを求める文学研究の提案を私がしたりしないことに不満な奴、ないし単に事実を認められない連中。
2、私が批判した、碌な業績もないのに大学教授とかになっている連中の崇拝者または関係者。ないし自分がそれだという連中。
3、とにかく批判とかゴシップみたいなものは聞きたくない、本というのは、美しい逸話とか感動させられる物語を読む場だと思っていて間違って買ったやつら。
 「2」についてはそれはもう論外だが、私が気にかかるのは「3」である。筒井清忠先生からいただいた『日本型「教養」の運命』文庫版の、文庫版あとがきのようなところに、若い人が新しい小説や映画を称賛し、オリジンを探ろうとしないという現象を挙げているが、これは私も気にかかっていたところである。
 たとえばミクシィ川上未映子コミュなどは、川上への批判は許さないというファンサイトめいた姿勢で一部で知られているが、これなどそういう問題の系であって、つまり文学に関するコミュでありながらあたかも藝能人ファンクラブの様相を呈し(まあ歌手・女優でもあるわけだが)、批評とか自由な討議をする気がないのである。
 しかしその背後には、出版社が、売りたい作家、売れ筋の作家について、批判するような批評家は排除するという動きがあり、愚昧な読者たちはその影響を受けているのである。『ヘヴン』の宣伝文の「涙がとまらない」「ひれ伏せ」とかいうぞっとするようなのも、その姿勢の表れである。まあさすがにこれには『文學界』で相馬悠々が論難していたが、紛れもない出版社の「川上未映子シフト」に乗ってしまう者らがいるのは確かである。