小松茂美のことなど

 最近、古典の新訳が流行っているが、はてみなどうやってやっているのだろう。改めて原書を見ながらぽつぽつとやっているのだろうか。それとも以前の訳をスキャンして、原書と照らし合わせながら直しているのだろうか。短いものならいざ知らず、もし私が『風と共に去りぬ』の新訳をしろと言われたら、絶対この方法をとってしまうと思う。
 付記:知らない院生がいたので教えておくと、翻訳というのは学者としては大した業績にはならない。むろん、まだ未訳の古典とか、渋沢クローデル賞をとった『ディスタンクシオン』とか(しかしこれの翻訳がそれほどの業績かどうか私には疑問だが)、平川先生の『神曲』とか『いいなずけ』とか、既訳はあるが斬新な新訳をしたとかいうなら別だが、『赤と黒』とかシェイクスピアみたいにたくさん既訳があるものの新訳をしてもほとんど業績的価値はない。大久保康雄のような人が英文学界で問題にされていないのも、そういうことだ。

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『日本の歴代権力者』の総括で、ローマ法王ナチスの関係に触れたが、これは1963年に竹山道雄が『自由』に「聖書とガス室」として連載してローマ法王の責任を追及した際、多津木慎という人から反論があって、ほぼ一年にわたって竹山との応酬が同誌上で続いている。もとの連載は『竹山道雄著作集』の第五巻「剣と十字架」に入っている。多津木というのは二宮信親の別名らしい。なおここで竹山は「ゴッド」を「神」と訳したのが大変な混乱を招いた、と書いているが、それが間違いであることは既に書いた。多神教の神もゴッドなのである。

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http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/

黒古先生のブログが再開したようである。不都合なコメントは全部削除したらしい。私もマークス博士も匿名ではないのだが、「悪意」があると言うのだろうか。自分に対して批判的な意見を「悪意がある」というのはまったく恣意的で、とうていまともな学者のすることとは思われない。栗原さんに対してはきちんと答えるべきだろうが、私に関しては、三浦綾子に関しては「差別」をしていたという認識で良さそうだが、井上ひさしの件については答えてもらいたい。井上に関する私のコメントを削除したのは、「卑怯」以外の何ものでもない。
付記:その後井上ひさしについては、改めて回答があった。

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 小松茂美の伝記『満身これ学究』を読んでいて、あっと驚いたのは、小松美彦先生が茂美の長男であるということ。偏諱もあるのに想像だにしなかった。あと「辰野隆」に「たかし」とルビが振ってあるのは、文春の本なのに、惜しい。
 さて読んでいくと、小松が中卒で立派な学者になったといっても、学力がなくて進学しなかったというより、父親の意向で鉄道に勤めたこと、また知力とともに恐るべき体力、さらに「ハイパーメリトクラシー」とも言うべき人脈作りの腕に長けていたことが分かる。それに、学歴がなくて苦労したという話も、今のように東大で博士号をとっても定職がない学者がわんさといる世の中では、何とも皮肉に響く。