書店へ行ったら、明治の西洋美術移入の人、岩村透の評伝が出ていた(田辺とかいう年取った人、藤原書店)。こっ、これは今橋さんがミネルヴァで書くはずの・・・。今橋さん、もう書かないだろうなあ。伝記は電光石火、まだ執筆中かなと思わせておいて出さねばいけない。
あと関民子『只野真葛』(吉川弘文館・人物叢書)も出ていたが、これは門玲子『わが真葛物語』(藤原書店、2006)に遅れをとった。恐るべし藤原書店。しかし「只野」というのは婚家の姓なので、前近代は夫婦別姓だから「工藤真葛」と呼ぶのが正しい。「只のぼろくず」みたいな印象を与え、ぼろくずのごとき女が声をあげました、ということにしたいのかもしれないが。
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『谷崎潤一郎交遊録』が谷崎記念館から届き、なんと驚くべし、大正元年(1912)頃の谷崎の不倫相手江尻須賀のお孫さん、中村晃子による「谷崎潤一郎と祖母須賀」が載っている。それによると、須賀は堀内製紙の創業者・堀内壽太郎の長女として1889年11月24日に生まれ、谷崎の従兄にして澤田卓爾の妻の兄江尻雄次と結婚、大正元年に谷崎と須賀の情事があったが、堀内壽太郎は雄次に援助して歯科学校へ行かせ、1915年10月に卒業した直後、12月に須賀と離婚している。14年に生まれた三女が中村氏の母上である。しかし須賀は1919年8月3日に満29歳で死去。雄次は代々木に歯科医院を開いており、1970年3月3日に死んだとあり、谷崎の葬儀にも姿を見せたという。
なお私の『谷崎潤一郎伝』の系図では、澤田の妻は谷崎の母の長姉の子となっているが、どうやら間違いで、次姉の子だったらしい。残念ながら、雄次の生年や澤田の没年は書いていないが、問い合わせれば分かるかもしれない。
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『ユリイカ』は米原万里特集、『考える人』は須賀敦子特集だが、私はこの二人とも、それほどすごい人だとは思っていない。ところで米原のほうは、若い頃は美人だったと聞いていた、というより、男にもてた、というから美人だったのだろうと思っていたが、そうではなくてむやみとケバい人だったことが分かった。
米原さんは、私の本を褒めてくれたこともあるから好感を持っていたのだが、『嘘つきアーニャ』が、エッセイであってノンフィクションではないし、描いている事柄と文体が合っていないと思い批判的に書いてから私の側では心理的距離ができ、さらに井上ひさしとの関係を知って、それであんなに次々と賞をとったのだと分かり、また小森陽一とクラスメートだったと知ってどんどんイメージが悪化し、さらに佐藤優の友人だったと知って、もう私にとって米原万里は、好意をもって見られる人ではなくなった。
今回の『ユリイカ』にも佐藤が書いているが、売れっ子佐藤が一枚千円で引き受けたのも米原なればこそ、ではあろうが、言論封殺魔の友人だったということは、確実にこの雑誌において米原の印象を悪化させるのにひと役買っている。
ああああ〜、金田淳子は〜、今月も〜、(仮)ィだあった〜。
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『刑事コロンボ』では、犯人は社会の上層部にいる人間である。しかし実際には、社会的地位の高い者が、自ら手を下して人を殺すということは、まずない。あれはいわば架空の上にも架空のお話だったのだなあ。やはり殺人を犯すのは社会の下層の人間なのだ。
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新宿の「タイニイ・アリス」という劇場へ行ったという学生の話を聞いた。ところでこの名前はエドワード・オルビーの戯曲からとったのだろうが、元の意味は知られていないらしい。ゲイの隠語で「お尻の穴」という意味である。
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『出版ニュース』で「今年の執筆計画」を見る。しめきりに追われているとか、締め切り不良債権とか書いている人、四方田のように「次の連載を何にするか」などと書いている人々に憎しみを覚える。私のように「出版不況で本が出せない」などと書いている人が見当たらないのはなぜだ。森まゆみさんが、迷惑をかけずにひっそりと『谷根千』を終らせる、と書いているのに好感を抱いた。あと黒古一夫先生は、『大江健三郎書誌』を出すと書いているのだが、大江の高校時代の同級生が集めていたものを黒古が補充する、とある。大江書誌なら森昭夫のものが国会図書館にあるのだが、それとは違うのだろうか。それにその高校時代の同級生の仕事を黒古先生が横取りするのではないかという懸念さえ沸く。どうせならその人の名前を書いておけばそんな疑惑は受けずに済むのだが、この人は相変わらずその辺の脇が甘い。
高山宏は片目失明したらしい。