ヨコタ村上孝之『色男の研究』ですが、著者は、近世日本(つまり江戸時代、ってやつですね)には「色男」というのがあったけれど、近代になって「恋愛」に変わった、俺は「色男」のほうがいい、と言っています。著者本人は、モテ男らしいです。三回くらい結婚しています。その前に一度婚約破棄しています。
 色男には技術が必要だが、「恋愛」はそうではなくて、真心で当たればいい、というものだから、「色男」のほうが豊かだと言っています。けれど、なかなかこの人はウソつきです。「売春防止法」を「売春禁止法」と書いています。セクシュアリティー研究二十年の成果ですね。オウィディウスの「アルス・アマトリア」には二種類の邦訳があるが、片方は「愛の手ほどき」だそうです。どう調べても「恋の手ほどき」しか出てきません。
 著者が本当に言いたかったのは、「多情仏心」の藤代信之の何が悪い!ということです。妻のほかに愛人を持って何が悪い、その時々において真剣なんだ、ということです。それから、売春が禁じられているのも気に入らないようです。でも実際にはソープランドもあります。それに、別に近代になったって、もてる男は丹次郎的に(あるいは著者のように)女をたらして生きているではありませんか。でも現代では、丹次郎のように、つきあった女二人のうち片方を妻に、片方を妾に、なんてことはなかなかしにくいです。著者が不満なのはそこです。もちろん、著者が勤務する大阪大学の副学長だった本間先生のように、愛人を連れて東京の官舎に住んじゃう人も、某芸大教授だった某さんのように、妻公認の愛人がいる上に、学生を第二愛人にしている人もいます。
 けれど、著者が本当に不満なのは、ちょっと女にキスしたくらいで「セクハラ」とされてしまう現状なのです。電車男エルメスさんに電話するのをためらうからコミュニケーション能力がないのだなどと書いてありますが、じゃあ次々と迫ってはドン引きされる電波男はどうなるのでしょう。あるいは田山花袋の「蒲団」のモデルの岡田美知代は、「蒲団」が出たあとでも自分がモデルであることに気づかなかった、と不思議なことが書いてあります。どうやら、美知代はそれがフィクションだと思っていた、と言いたいようです。でもフィクションです。花袋が身悶えするほど、美知代は美しくはなかったのですから。そんなことを勝手に決めた上で、だから花袋はコミュニケーション能力がないのだとわけの分からないことを著者は言いますが、これはみんなごまかしです。著者が理想とするのは、職場の女の子に卑猥なことを言ったり体に触ったり、果ては強制猥褻をしても許される社会であり、そうやってじわじわと自分の魅力で征服してもいい世界、妻のほかに愛人を持っても非難されない世界なのです。現在の著者の妻はロシヤ人で日本語が読めませんから、こういうことを書いても平気なのです。
 それなら「結婚」なんかしないで、それこそ永井荷風的に、愛人恋人を渡り歩く「色男」人生を送っていればいいのに、どういうわけかこの著者は何度も結婚して、子供が総計三人もいます。色男でもありたい、結婚もしたい、子供もほしいと、何でも欲しいのですこの著者は。つまりこの本は「一夫多妻制のススメ」とでも言うべきものなのです。
 でも私が著者を非難していると思って貰っては困ります。実は、多くの男は心の底で、この著者と同じことを夢想しているのです。著者はかつて「もてるというのはタダでセックスができることだ」と定義した人です。じゃあ近世遊廓でお金を払っていた色男は、「もてている」とは言えないのでしょうか。そういう、細かな矛盾は多々あります。仕方ありません、この人の才能は、語学と女たらしに発揮されていて、整合性というものが元来ないのですから。

(*)なお、「蒲団」がどの程度事実なのか、またそのモデル岡田美知代と花袋の交渉については、『「蒲団」をめぐる書簡集』(田山花袋記念館研究叢書第二巻、館林市、2003)に、花袋研究の第一人者・小林一郎氏が研究篇をつけて解説している。館林市に直接申し込まないと入手できないが、ヨコタ村上がこういうものを見ていないのは間違いない。何しろ岡田美知代が、日露戦争に従軍した花袋宛に出した手紙には、まるで恋文のようなものもあるのだ。要するに美知代のほうで当初は花袋の恋人気取り、だが永代と知り合ってからは、ということである。

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郷ひろみ参院選出馬はないようだが、郷が『ダディ』を出した時、「これで郷は芸能人生命を失うだろう」などと小倉千加子が書評したことは忘れない。小倉の判断の誤りというのは、常に小倉について回るもののような気がする。ただ、大学を辞めたことだけは間違っていなかっただろうが。『ダディ』が出たときは、「男女の間で何かあれば必ず男が悪い」と考える愚かなフェミニストたちがあれこれ騒いだものだ。ほかの女とお昼を食べたくらいで靴で殴る妻というのを、結婚制度を呪う小倉が「善玉」だと思ったというのが、実に奇妙である。