最近、知里幸恵が採取した岩波文庫「アイヌ神謡集」の新版が出て、知里幸恵の名前がタイトルの上に来て中川裕の校訂になったことでいろいろ言われていたが、別にいいんじゃないか。大塚英志が、アカデミズムの在野への傲慢だとか書評していたが、これはむしろ在野のまんが原作者がアカデミズムに入り込んだことへの罪悪感の現れではないかとさえ思った。ところでこのアイヌシリーズは岩波文庫で「外国文学」扱いの赤帯であり、かつてそのことを礼賛している人がいた。
その知里幸恵の弟で、東大言語学科に学び、「アイヌ語入門」を著した秀才・知里真志保が校訂した「アイヌ民譚集」を未読だったので読んだら面白かった。「よい爺さんと悪い爺さん」の話型が使われた「パナンペとペナンペ」の話が主だが、ペナンペがいちいち小便や大便をしたり、ペニスを食いちぎられたりと下品だし、一話ごとにペナンペが死んでしまうのも、こういうのを世間に出すと、アイヌは未開で下品だという偏見を強めるんじゃないかとすら懸念されるが、最後にパナンペとペナンペが結婚してしまう展開には度肝を抜かれた。翻訳も、ふざけて与謝野晶子の歌を使ったりしていて(しかしそう書いてないからこれは著作権上どうなのか)面白い。
昭和十年のあとがきで知里は、アイヌは熊や鮭ばかり食べて入れ墨をして熊祭りをやっていると思われていると書いているが、私はその当時ならそんなものだと思っていたから、その当時はそういうことはなかったのかと思ったが、「ゴールデンカムイ」のおかげで(あれは明治だが)やはりアイヌは未開のように思う人が多くなるんじゃないかと心配になった。