「指輪物語」と恩田陸

 話題の『精霊の守り人』をちょっとのぞいてみようと新潮文庫を買ったが、くノ一+ナウシカ+記紀神話みたいでどうもいかん。主人公が30歳の女というのはいいが、色気がない。子供の読物だろうと思ったし、共和主義者の私には、皇子を守る、ということに一向に興味がわかない。
 ところが恩田陸と神宮輝夫が解説を書いていて、恩田の解説が気になった。恩田は、「ナルニア」も『指輪物語』も、大学生くらいで読んだから、遅すぎたと思ったという。だが、『指輪』の映画を観て、もう一度読んだら、これは人間が描かれていると気づいた、とあった。
 私は異世界ファンタジーというのがどうも苦手であるが、ここのところ、もうちょっと詳しく聞きたいと思って、『ユリイカ』2002年4月臨時増刊『指輪物語』の世界の、恩田の文章を読んでみた。ところが、先の文章(2007年)と、どうも言っていることが違う。自分は異世界ファンタジーは苦手だ、と言い、「指輪」「ナルニア」「ゲド」以外は認めない、と言う。ここですでにちょっとおかしい。さらに、『指輪』を戦争の比喩として読むのは侮辱だ、と言う。
 そのあとがおかしい。現実が苦しいからみなファンタジーを求めるのだ、と言う。だから21世紀はみなファンタジーを必要としている、と言う。これが分からん。過去の生活のほうがよほどつらかったと思うのだが。
 さらに、学生時代に『指輪』を読んだ時より今回のほうが面白く読めた、という。それは自分が大人になったから、と言う。これは2007年の文章と同じだ。ところがそのつぎ、単純にエンターテインメントとして優れている、と言う。そのことと、大人になったから面白い、ということの関係が分からない。
 結局私は二つの文章を読んで、恩田陸はやっぱり異世界ファンタジーが苦手で、世間のつきあい上、こういう文章を書いているんじゃないかと思った。
 私はといえば、「ゲド」も「ナルニア」も「指輪」も、英国人が子供を意識して書いたせいか、色気がなさすぎて面白くない。恋愛が全然ない。その前の文章で荻原規子があげているアラン・ガーナーの『ふくろう模様の皿』(アウル・サーヴィス)だけは面白かったが、これは恋愛こみの貴種流離譚だからだ。
 『三国志演義』は異世界ではないが、それにしても色気なさすぎである。