飲み水と死体

 先日、宝塚の貯水槽にゴムボートが浮いているのが見つかり、誰かが深夜侵入してボート遊びをしたらしいとして建造物侵入で取り調べが行われているというニュースがあった。
 住民は、「毒でも入れられていたら」とか「人がボート遊びをした水を飲むなんて気持ち悪い」とか言っているというのだが、毒を入れたらそれは検知できないのだろうか。後者に至ってはよく分からない。だいたいこの「飲み水に毒を入れる」というのは、井戸の時代の発想で、しかも関東大地震の時の朝鮮人デマを想起させて、不快感すら覚える。
 太宰治玉川上水で心中したことについて、大岡昇平が、人の飲み水に入水するなんてと非難していたのだが、これもよく分からない。別にその水が直接飲み水になるわけじゃなくて浄化されるわけだろうに。
 どうもこういう反応は私にはよく分からないのである。「気持ち悪い」というのが、なんで夜中に狭い貯水槽にゴムボートを浮かべるのか、という意味なら分かるのだが、まさかその水が直に水道から出てくるわけでもあるまい。
 実は私は、人肉食がおぞましいというのも、よく分からない。殺して食べたというなら、それは殺人だが、アンデス山中の飛行機墜落のように、極限状況で死んだ人間を食べて生き延びて何が悪いのか分からんのである。したがって佐川一政も、私にとっては一殺人犯であり、特段人肉食で興味をひく存在ではないのだ。そういう意味で私は近代主義者なのである。
小谷野敦)