自転車迫害の真相

 行政は相変わらず自転車迫害をやめないようだ。歩道を走ってはいけないというが、中には車道は危なくて走れないような道も多い。だから自転車レーンを作るなどと言っているが、それなら作ってから、歩道走行を取り締まるのが筋である。実際私の家の近所には、自転車レーンなど作ったら、一方通行にせざるをえないような、かつ自動車走行量の多い道もある。自動車行政が失敗しているのだし、今なお欧州のような、自動車の走行制限をやっていない。
 禁煙ファシズムも自動車会社が裏で糸を引いているし、自転車を二分ほど停めておいただけで警告札をとりつけたり、果ては二十四時間たってもいないのに放置自転車として持って行ってしまうなど、憲法違反であり行政の犯罪である。歩行者保護の大義名分のもと、行政が本当に狙っているのは、自動車の保護であり、自転車を圧迫してもっと自動車を買わせようという資本制的思惑なのである。
 だいたい原発騒ぎにしても、自動車会社としては笑いがとまらないところだろう。これで、電気自動車への転換ということは遠のいたが、そうなればガソリン会社が嬉しい。年間七千人の死者を出している自動車産業の罪は隠蔽され、誰も殺していない東電ばかりが責められる。

                                                                • -

以前、ホモセクシャルを「同性愛」と訳すのは、原語には「愛」の意味がないからおかしいとして、同性愛と同性志向と言い分けていたことがあったが、藤村作『上方文学と江戸文学』(1922)の「同性愛の文学」では、きっちりこれを区別して「同性愛というより同性性欲」としている。このころの近世文学の評価は、江戸幻想がなくてまったくその通りと思われるものが主で、これもその一つ。