谷崎研究補遺二つ

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20111016 
 これだが、その後判明した。朝日新聞にこの記事を書いたのは荻原由希子といって、私の大学院の後輩なのだが、最近修士を出て朝日に入った人で面識はない。で、朝日に問い合わせたら、梁瀬健という大阪教育大名誉教授の工学者が研究しているというので、調べたら「観音様はいまいずこに」(『青淵』2008年3月)というのがあった。この『青淵』というのは、渋沢栄一記念財団の雑誌である。これによると、滝井孝作の「奈良より」という随筆が、滝井の随筆集『折柴随筆』(1935)に載っていてそれに書いてあったという。折柴は滝井の俳号である。
 そこで図書館で『滝井孝作全集』のうち、四巻ある随筆の巻を見たのだが、ない。調べてもらったら、全集に入っていないそうで、単行本に入ったのに全集に入れないってどういう全集だとぷんすかしつつ、どうやらその雑誌初出らしいものもよそで教えてもらい、確認した。
 もう一つ、尾道のM病院の医師K氏から、谷崎の書簡が見つかったと言って中央公論社へ私宛にコピーを送ってきた。確かに谷崎のもので、昭和5年5月12日である。『乱菊物語』に、苦瓜助五郎という豪族が出てきてそれが海賊になるのだが、その苦瓜の子孫らしい人から苦情が来たのに答えたものだ。ところがこのコピー、なぜか宛名がない。さらに入手の経緯が分からないし、K医師は、この相手は苦瓜という人で、苦瓜から脅迫の手紙が何通もあって、それで『乱菊物語』は中絶したのだと書いている。しかしその脅迫の手紙は見ていないし、『乱菊物語』は夫人を佐藤春夫に譲った事件で中絶したのである。