不変態学者

 昆虫は「変態」というものをする。幼虫から蛹、成虫へと。しかし、これには三種類あり、「完全変態というのが、この三つをすべてへるもので、鱗翅類、つまり蝶や蛾がそうだ。対して「不完全変態」は、蛹の段階がないもので、カブトムシなどの甲虫、その他多くは不完全変態だ。あとは「不変態」で、カマキリのように、生まれた時から成虫と同じ形をしていて、それがだんだん大きくなるものである。
 さて、学者の中には、東大を出て東大助手とかから、助教授をへて教授と、ずっと同じ大学にいる人というのがいる。こういう人の経歴を見ると、私はいつも「不変態」という、これを思い出すのである。しかし、東大なら、長生きすれば、定年が早かったから、それから別の大学へ再就職すれば「不変態」ではなくなるが、早稲田のように70歳定年だと、完全不変態ともいうべき人が生まれる。慶應は65歳定年らしいが、もし小学校から慶應で、ずっと慶大教授まで来ると、もうそれは「三田人生」と化す(いや日吉もあるか)。國學院なども、そういう人がいそうだ。 
 まあだからどうということはないのだが、そういう人が回顧の文章など綴ると、もうその大学しかこの世に存在しないみたいな筆致になることがしばしばである。あ、谷沢永一もそうか。
(付記:どうもカブトムシは繭を作らない蛹になる完全変態で、カマキリは幼虫状態のある不完全変態らしい。不変態というのはシミくらいのようだ)