「対談集」が減る

 その昔、1987年だったか、まだ「ニューアカデミズム」の残光が十分残っていた頃、上野千鶴子対談集『接近遭遇』という本が出た。すぐ買って読んで、おもしろかった。呉智英先生はこれを評して、上野が意外にいい人なのに驚く人もいるだろうが、私はもとからいい人だろうと思っていた、と書いていた。上野は、男と話をするのが好きだ、と言い、ここでは、吉本隆明とか、別にフェミニズムに同意するわけではない人とも、忌憚なく、率直に語り合っていた。しかし、今の上野は、もうこういう本は出さないだろう。自分が論破できる相手とか、自分の痛いところを突いてこない相手とか、あるいは単なる仲間との「対談本」しか出さなくなった。
 それに限らず、「対談集」は減った。昔は、柄谷行人対談集「ダイアローグ」なんて何冊も出ていたし、山口昌男とか岸田秀とか、よく対談本を出したものだ。今は対談集ではなくて、香山リカ福田和也の悪名高いあれみたいな「対談本」ばやりだ。安直に一冊できあがる、あれ。あるいは「連載対談」。つまり、最初からなれあってくれる相手との対談であり、異質なものがぶつかりあって、率直に、どこが違っているのか検証しようという対談が、ない。まあ、最近のヒット対談といえば、矢作俊彦内田樹に「あなたは間違ってるよ」と言った鼎談が思いつくが、上野や宮台真司は、異質な者と出会う気はもうない。というか、言ってることがインチキなんだから、本気でやられたら困るわな。
 「対談集」から「対談本」や「連載対談」へという流れは、コミュニケーションを拒絶しようという世相が見えるね。
 斎藤美奈子三島賞も山本賞も芥川賞も「妥当な線」とか言ってて、それなら文藝評論家なんかいらんだろう…。
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 ところで余計なお世話だが、エリートであることに強いこだわりを持っている瀬々敦子さんが、推理小説三谷幸喜本屋大賞の本が好きだと平気で言えるのが、私にはやや不思議なのだが…。