柳朝

 落語界の名跡は乱れきっている。春風亭一朝の弟子が六代目柳朝を名乗ると聞いて、驚いた。先代柳朝の弟子は、一朝、小朝である。年齢順にいえば一朝が、実力からいえば小朝が柳朝になるのが順当だが、それをすっ飛ばして孫弟子に行ってしまうのだ。これはひどい。だいたい、小朝などというのは前座の名前である。

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 今朝の毎日新聞に、ICU名誉教授一瀬智司(1922生、経営学)による夫婦別姓推進論が載っている。野田聖子夫婦別姓論が、男女平等の衣の影に隠していた「家名存続」を前面に押し出した、紛れもなく「保守派」の立場からの夫婦別姓論で、一人っ子同士の結婚では家名が断絶する親の苦しみはなどと書いてある。が、前から言っている通り、現行の夫婦別姓法案では、子供の姓は統一されるのだから、夫婦別姓は家制度存続の解決策にさえならないのだ。ましてや、一人っ子が多い現在、仮に子供の姓がばらばらでいいとしたところで、やはり解決にはほど遠い。毎日のこの欄は二流学者のクズ論が多いのだが、これはとびきりのクズ。

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一月に刊行された福田千鶴の『淀殿』(ミネルヴァ書房)をようやく見ることができた。福田は1961年生の歴史学者である。この本では、淀が秀吉の側室であるという定説に反論を試み、当時は一夫多妻多妾制であって、淀もまた正室だったとしている。この新説についての判断は歴史学者に任せるとして、その呼称について福田は、「淀殿」という呼称自体、生存中の史料には見られず、元和以降のものだとする。また「淀君」と呼ぶのが、辻君、立君などからの連想で、卑しめてのものであるという説を、辻ミチ子、北川央、田端泰子によるものとしているが、これらはみな21世紀に入ってからのもので、私が見る限り、田中貴子の1997年のものが最も早い。だが、家康の室を「朝日君」、秀忠の室を「於江与君」とする幕末の公式文書があげられており、遊君並に見たから淀君は蔑称であるとは言えまい。しかし福田は、こういう卑称を避けるべきだという「女性史研究の主張も一理ある」とよく意味の分からないことを書いている。正しくは「浅井茶々」であるが、しかし福田が提案する「淀」でも良かろう。何にせよ、「淀殿」も「淀君」も徳川時代の呼称であって、どちらが正しくどちらが間違っているとも言えないのだ。