http://1000ya.isis.ne.jp/1483.html
 またやってくれたぜ松岡正剛。「サリンジャー(465夜)の『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールディングが図書館員からまちがって」
 それは「ホールデン・コールフィールド」だ。毎度いうことだが、間違うのはいい。それを訂正もしないで放置するところが解せないのである。俺の書いたことに間違いはないとでもいうのだろうか。それに、女が男名前で小説を書くといって「紀貫之の女版」って、そこは普通、ジョルジュ・サンドとかジョージ・エリオットが出るところだと思うんだがねえ。 

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http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2008/02/post_9715.html
「じつは犯人の一柳展也自身、高校まではエリートコースを歩いていた。進学校として有名な海城高校に入学。志望校も早稲田大学に置いていた」。
 いや当時の海城高校進学校たって二流で、東大入学者なんて五人くらいで、本物の一流校のすべり止めで、中身はあの通りだったわけ。だから当時、海城では「海城にいたらおかしくなるよなあ」と言われていたのだ。

松岡正剛間違いシリーズ千夜千冊 
http://1000ya.isis.ne.jp/0855.html
 「デイヴィッド・ロレンス」。普通はD・H・ロレンスで、デイヴィッド・ハーバート・ロレンスだが、なんでわざわざデイヴィッドだけにするのか。
 「伊藤整が補訳した」伊藤礼の間違いだろう。

 藤原猛先生がいた。京都初音中学校の国語の先生だ。難聴者で、いつも補聴器をつけていた。だから声が大きかった。のちに『難聴者の記録』という岩波新書を書いた。

 そんな岩波新書はない。入谷仙介・林瓢介編『音から隔てられて‐難聴者の声』(1975)に「中途失聴・難聴者の手記」という文集があり、そこで藤原が「失聴二〇年‐苦悩からの脱出」を書いている。図書館のレファレンス泣かせだなあ。

 ところで滝沢誠の本についてはここに書いてある。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0093.html
 たいてい一つくらい間違いのある松岡正剛だが、

父の権藤直は真木和泉・木村赤松とともに、勤皇党の領袖である池尻葛覃に学んだ。直は品川弥二郎高山彦九郎平野国臣とも親しく、そこには志士的な情熱が渦巻いていた。そこがこれから始まる数奇な縁(えにし)の発端だ。なにしろ高山彦九郎は権藤家の久留米の親類の家で自決したのである。

 権藤直が生まれたのは1830年ころで、高山彦九郎が自害したのは1793年である。何とかしてほしいよ。もちろん滝沢は、直が彦九郎と親しかったなどとは書いていないのである。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0171.html
この記事自体は面白いのだが、

海外には「ニュートンに消された男」(ロバート・フックこと)「ダーウィンに消された男」(これはウォレス)「エジソンに消された男」(ニコラ・ステラのこと)といったたぐいのドキュメンタリーやノンフィクションが数多くある。

 いや…。『ニュートンに消された男』は日本の本で、学者最年少で大仏次郎賞を受賞した中島秀人・東工大教授(現在)の著であります。仮に海外に同様の本があるとしたら中島氏が盗作したことになってしまう。さすがに読んだのだろうが、忘れていたらしい。
 松岡正剛はしばしばこういうミスをやらかすのだが、教えても直さないところがタチが悪い。 

 三島由紀夫の戯曲「喜びの琴」は、1963年に文学座の分裂を引き起こしたものとして知られるが、その戯曲そのものはあまり知られていないし、上演も、64年に浅利慶太演出で日生劇場で初演されたのちは再演されていないようだ。
 これは『ちくま日本文学全集 三島由紀夫』に入っている。私も初めて読んだ。それで、検索してみると松岡正剛が書いていて、
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1022.html

細かいことは忘れたが、『喜びの琴』は文学座の委嘱によつて書かれた戯曲で、言論統制時代の近未来を舞臺にしてゐる。主人公は筋金入りの公安係巡査部長の松村で、左翼の仕業とみへた列車転覆事件が調べてみると実は右翼の仕業だつたといふ意外性を描いた。松村が自分自身の思想と行動に裏切られたと思つたとき、天から「喜びの琴」が聞こへてくるといふ幕切れだつた。

 細かいことどころか、大きく間違っている。主人公は片桐という公安巡査で、松村は巡査部長である。片桐は松村経由で左翼過激派が、高崎線の総理が乗る列車を転覆させようとしているという情報を得、総理は乗車をとりやめるが、列車自体は転覆させられる。片桐は現場付近で右翼たちをとらえるが、実はそれは、左翼のスパイで、十年間潜り込んでいた松村が、片桐を使ってそう思わせたもので、実は左翼の仕業だった、というものだ。
 松村は逮捕されるが、片桐に、お前の反共思想は俺から植えつけられたが、その俺が左翼だったわけだ、と思想問答をする、というのがこの劇の見せ場である。
 ところで私はこれを読んで、五木寛之の「蒼ざめた馬を見よ」を思い出した。あれは、ソ連の作家弾圧と思われたものが、実は西側諸国がソ連を攻撃するために行った偽の作家だったという話だったが、五木は三島のこれを参考にしたのではないか、と思ったがそういうことはどこかに書いてあるのかもしれない。

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松岡正剛加藤百合さんの本を取り上げている。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1218.html
 しかし実はこの後、田中修司という人が西村伊作について博士論文を東大工学研究科に提出して加藤さんがちょっとショックを受けたということがあった。もちろんそれは公刊されているのだが、松岡文の末尾は実は間違っている。
「伊作をめぐる本も少ない。本書のほかには、上坂冬子『伊作とその娘たち』(鎌倉書房)、戸川エマ『一期一会抄』(講談社)、山崎博久『私の文化学院日記』(原書房)、西村クワ『光のなかの少女たち・西村伊作の楽しき住家』(はる書房)あたりだろうか。」
 とある。上坂のものは『愛と反逆の娘たち』として中公文庫になっている。そして最後は、西村クワ『光のなかの少女たち-西村伊作の娘が語る昭和史』(中央公論社)、田中修司『西村伊作の楽しき住家-大正デモクラシーの住い』(はる書房)なのだが、なぜか二冊が一冊にくっついている。間違いを知らせても直さない松岡だから、ここで訂正しておく。

 (小谷野敦

 12月に「直木賞のすべて」の間違いを指摘したのに直していない、と書いたら、先ほどメールが来て、気づいていなかったとお詫びされたので、当該箇所は削除しておいた。しかし松岡正剛は依然直していない。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1091.html

 光格天皇天皇号を復活させる話で、「兼仁院」になるはずだった、などと書いていて、諱と諡号が同じものだと思っている。これはもう書籍にしてしまったから、これだけ直してもしょうがないのかもしれないが、せめてウェブ上の間違いくらい直せばよいではないか。

(以下、ウェブサイトに移したので削除)