芋蛸なんきん

質問内容:「とかく女の好むもの 芝居 浄瑠璃 芋蛸南瓜」、という言葉は、検索すると西鶴のものとされていますが本当でしょうか、出典は何でしょうか。

回答:まず、「芋蛸南京」という言葉を複数の表記でインターネット検索したところ、
詳細は不明なものの、大きく分けて以下のような説が確認できました。

(1)井原西鶴浮世草子が出典というもの
  (とくに『世間胸算用』を出典とする説も複数あり)
(2)落語が出典というもの
(3)川柳が出典というもの

そこで、以下の通り、順に検証を行いましたが、
結論から申し上げますと、明確な出典は確認することができませんでした。

(1)井原西鶴
→「世間胸算用」が掲載されている『対訳西鶴全集 13』(井原 西鶴/著、明治書院、1975年、913.52イ)
 の巻末に、主要語句索引がありましたので、
 「女」「芝居」「浄瑠璃」「芋」「蛸」「南京」のすべての語句について確認してみましたが、
 該当する箇所はありませんでした。
 また、本文も全体を通して確認しましたが、やはり該当する箇所は見受けられませんでした。
 (念のため、別の出版社による他の複数の版も参照しましたが、やはり同様でした)
 なお、「世間胸算用」ではない作品が出典である可能性もあるかと思い、
 上記の明治書院版『対訳西鶴全集 18 総索引』でも各語句を検索しましたが、
 同じく該当するものはありませんでした。
 (第7巻「武道伝来記」、第11巻「本朝桜陰比事」、第12巻「日本永代蔵」の3冊は
 「芝居」または「浄瑠璃」の使用箇所があるようでしたが、貸出中等のため確認ができませんでした。
 ただし「蛸・鮹」という項目でこれらの巻は拾われていないため、おそらく該当箇所ではないと思われます)

(2)落語説
→『米朝落語全集 第2巻』(桂 米朝/著、創元社、779.1カ)の「親子茶屋」のマクラの部分に、
 「女の好きなもんはというと、関西では昔から、芝居、浄瑠璃、芋、蛸、南京と、こない言う」(P.52)
 という一節があります。また、第五巻の「狸の賽」のマクラにも、同様の記述があります。
 しかし、この言い方から考えると、この落語が成立したときには
 すでに関西では「芝居、浄瑠璃?」の表現が普及していたと思われますので、
 落語が発祥という説は可能性が低そうです。

(3)川柳説
→杉並区立図書館の蔵書の範囲内で、川柳に関する複数の辞典・事典類を検索してみましたが、
 該当する項目は見受けられませんでした。

上記のように、(1)?(3)の説には確証が得られなかったので、
改めて国語辞書、ことわざ、故事成句の事典類を参照しましたところ、
次のことわざ辞典に、出典の表記がありました。
  
・『故事俗信ことわざ大辞典』(北村 孝一/監修、小学館、2012年、R813.4コ)
→P.136「芋」の項に、「芋章魚南京 女性の最も好む物。〔日本俚諺大全(1906?08)〕」とあります。
 しかし、『日本俚諺大全』は杉並区立図書館では所蔵しておりませんでしたので、
 出典を直接確認することはできませんでした。
『日本俚諺大全』は、『ことわざ研究資料集成 第7巻』(ことわざ研究会/編、大空社、1994年)
 という資料に収録されているようで、東京都内では足立区の図書館などで所蔵しています。
 お取り寄せをご希望の場合には、リクエストをお申し込みください。

(後記:『日本俚諺大全』は一切典拠などは書いてなかった)

凍雲篩雪

凍雲篩雪(83)勝手に怯えてろ

一、数か月前の本欄で、「鳥潟博士事件」というのに触れて、菊池寛の『結婚街道』のモデルになったと近松秋江が書いていた、としたが、これは別の事件のことで、昭和七年十月、免疫コクチゲンの発見者としてノーベル賞候補にも擬せられた鳥潟隆三(一八七七ー一九五二)の長女静子(二十五歳)が、京都帝大医学部卒の長岡浩(二十八歳)と一年の交際ののち華燭の典を挙げたが、その夜の長岡からかつて性病に罹っていたことを告白され、静子が結婚を破棄し、性病はもう治ってはいたが、それを隠していたことが問題だとして、父隆三と媒酌の京大教授・市川清の連名で結婚破棄の声明を出したことでマスコミの騒ぎになり、『サンデー毎日』十二月十一日号では「結婚解消問題 裁かるゝ男性」として七ページにわたる特集を組み、谷崎潤一郎武者小路実篤小林一三倉田百三、夏川静江、柳原白蓮長谷川時雨ら各界著名人のコメントが載っている。
 したがって、『結婚街道』は、大正年間の鳥潟右一の娘の夫が鈴弁殺しの犯人だというのとは関係ないのだが、短い期間に「鳥潟博士の令嬢事件」が二つもあったことになる。
 大したことのないような事件がこんな話題になったのは、その当時「男の貞操」が問題になっていたからで、それまで女の貞操ばかりが問題にされてきたが、男の放蕩はいいのか、というわけで、遊蕩文学の攻撃で筆頭にあげられた近松秋江ですら、男の貞操は問題にすべきだなどと書いていた。だが、当時の週刊誌や婦人雑誌の読者層はアッパーミドルクラスで、ごく一部の人にしか認識されていない問題だったことは確認すべきであろう。
 先般本欄で批判した中島一夫氏から早速の回答がブログにあったが、もともと同氏の論は精神分析を用いたもので、私は精神分析を科学として認めていないので、話はかみあわない。中島氏は江藤淳天皇制消滅の危機に「怯え」ていたと言うが、「勝手に怯えてろ」としか言いようがない。
二、ロシヤ文学ではトルストイドストエフスキーが二大巨頭扱いだが、私はドストが好きではないし、トルストイも三大長編は好みでなく、「クロイツェル・ソナタ」や「イワン・イリッチの死」のような中編がいいと思う。もっともドストエフスキーも、後期のロシヤ正教原理主義に傾いたものでない、『死の家の記録』などは好きだし、先日初めて『虐げられた人びと』を読んだら、ちょっと変だが面白かった。ここでわき役なのに、ドストがロリコンだといった説の根拠をなしたのが孤児ネリーなのだが、昔はもっと有名だったようで、太宰治川端康成に宛てた手紙にも出てくる。
 ほかにトゥルゲーネフも『煙』『その前夜』などが好きだが、これらは解説ではたいてい当時のロシヤにおける革新派の青年たちとの関連で説明されている。だが私はむしろ恋愛小説として、そこに描かれるヒロイン像に興味が深い。
 私はいったいしかし、ロシヤ文学では誰が好きなのだろうと考えて、ゴンチャロフだ、とへそ曲がりなことを思いついたのだが、私が大学生のころ、ニキータ・ミハルコフの「オブローモフの生涯より」を映画館で観て感銘を受け、原作の『オブローモフ』を岩波文庫の全三冊で読んだがこれも面白かった。主役は働く必要のない貴族の息子だが、そのだらしなさとか、女に振られてしまうさまが、大学生だった私自身を思わせたからだ。
 だがさすがに、ゴンチャロフの他の作品、といっても『フレガート・パルラダ』つまり『日本航海記』は別として、小説はその当時品切れだったし、長らく読むことはなかった。だが三十年ほどして、初期作『平凡物語』をやはり岩波文庫で読んだらこれも面白かった。主人公の青年アレクサンドルは、文学者になる志望を抱いて首都ペテルブルグの伯父ピョートルのもとに寄宿するのだが、伯父は、そんな志望はやめて役人になれと言う。アレクサンドルは聞く耳持たず、恋愛に熱をあげるが、ごたくさしたあげくに振られる。この女と言い合う場面が、二葉亭四迷の『浮雲』にそっくりなので、二葉亭は『平凡物語』を参考にしたな、とすぐ分かる。数年後、アレクサンドルは文学者などあきらめて平々凡々たる官吏の道を歩んでいる。しかし妙なことに、小説はそれをいいこととも悪いことともしていない。判断は読者任せなのであろうか。
 ところがここに、ゴンチャロフといえば『断崖』という大長編がある。しかも二葉亭は『浮雲』を書くのにこの作品を参考にした、と書いている。岩波文庫で全五冊の翻訳がある(なお私は、全五巻というのは文庫本の場合不適切で、五冊のほうがいいのではないかと思って五冊と書いている)。一九四九年から五二年にかけて井上満が訳したものだ。二〇〇九年の一月、古本で三万五千円の値段がついている全五冊本を私は購入したが、あまりに汚くて読む気にもならずにいたら、二〇一〇年十月から改版が復刊したから、参った。古本のほうは書庫のどこかにあるが、今回仕方ないから復刊のほうを第一巻から二冊目まで読んで、一向に話が進展しない退屈さに参った。ゴンチャロフはどうやらここでは「退屈」を描こうとしたようだが、ライスキーという青年をめぐって、田舎の人々の描写が延々と続いており、これであと三冊あるのだ。小林実という立教大学の院生だった人の「二葉亭四迷浮雲』の創作におけるゴンチャロフ『断崖』からの模倣とドブロリューボフオブローモフ主義とは何か』の解釈に関する検証の報告」(立教大学日本文学、一九九九)と「二葉亭四迷浮雲』創作の目的論的契機とモデル作品-グリボエードフ『知恵の悲しみ』及びゴンチャロフ『断崖』からの借用形態について-」(『日本近代文学』二〇〇一年)という論文がある。『智慧の悲しみ』も岩波文庫に小川亮作(一九一〇ー五一)の翻訳があってこれも読んだ。小川はペルシャに派遣された外交官で、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の岩波文庫版訳者でもあり、『智慧の悲しみ』のグリボエードフ(一七九五ー一八二六)と似た運命をたどって、若くして死んでいる。グリボエードフはデカブリストの共鳴者だったことから、懲罰的にペルシャ派遣の外交官とされ、トルコマンチャーイ条約を結ぶことに成功したが、この条約をペルシャにとって屈辱的だと感じたペルシャ人がジハードを起こして公使館を襲撃し、グリボエードフは三十一歳で死んだ。十六歳の妻が妊娠していたという。その死体がモスクワへ帰る途中、南へ向かうプーシキンに遭遇したという。
 しかし、二葉亭は本当にこのだだ長い『断崖』を読んだのだろうか。私には『浮雲』と関連するのは『平凡物語』のほうで、『断崖』は二葉亭が何かの見栄で書いただけではないかという気がする。
 だだ長いといえば、アーダルベルト・シュティフターの『晩夏』をいま読んでいるが、これはそう長いわけではないが、退屈なことで知られ、読み通した者にはペルシャの王冠を授けるなどと言われたようだが、今のところ、私はそう退屈はしていない。藤村宏の翻訳もいい。

汽笛一声

 中村光夫の戯曲に「汽笛一声」というのがある。割と長く、明治初年を描いたもので、読売文学賞をとっている。『かまくら春秋』12月号の森千春の連載「花から読み解く文学57」で中村光夫がとりあげられ、この戯曲に「ひとこえ」とルビが振ってあった。いや「鉄道唱歌」の歌いだしだから「いっせい」だろうと、かまくら春秋に疑問のメールを出したが、回答がなく、電話したら、森さんに訊いて、筑摩書房の初版にそう書いてあったという回答を得た。だがその初版にも、『展望』の初出にも「ひとこえ」なんてルビは確認できなかった。

 なお森千春という人は二人いて、ここでの森千春はてなキーワードにある、1948年生まれの元毎日新聞記者、「文学の花しおり」(毎日新聞社)の著者で、もう一人は1958年生まれ、東大比較の出身で読売新聞記者、

池嶋(旧林太郎)は西沢正史

 最近、アマゾンレビューで「池嶋」の名で私の著書に一点をつけて荒らしている者がいるが、これはかねてより迷惑行為を繰り返している元大学教授の西沢正史である。「池嶋」というのは、勉誠出版の現社長・池嶋洋次であり、以前名のっていた「林太郎」は、前社長の岡田林太郎である。十年以上前に勉誠出版から著書を出していた西沢は、もめて勉誠相手に訴訟をしていたらしい。「5ちゃんねる」で私に関して似たような悪口をくりかえし書き込んでいるのも西沢で、まことに迷惑なお爺さんである。

小谷野敦

凍雲篩雪

 日本史ブームと保守

本誌は来年三月で休刊になるというので、この連載もあと五ヶ月で終わることになる。別段それにあわせて何かを書くということにはなりそうもない。
一、井上章一本郷和人の対談本『日本史のミカタ』(祥伝社新書)を読んだ。呉座勇一の『応仁の乱』以来、新書の歴史ものブームが続いている感じだ。私は井上とは面識があるし、本郷とは今日まで会う機会はないがメールはしていたことがある。本郷といえば中世史特に鎌倉期が専門で、何かというと「権門体制論」がどうとか言う人である。鎌倉幕府ができてからも、京都には朝廷、寺社、貴族の荘園などの「権門」があり、それ相応の力をもっていたという、黒田俊雄の論である。かねてひっかかっていたのが、仮にそうだとしても、鎌倉幕府がある程度の力を持っていたのは事実なのだから、両方の勢力があったといえばいいものを、本郷が「権門体制論に都合が悪い事実」のような言い方をすることで、もともと黒田自身、実証的な歴史学に対して仮説提出的な史学の可能性として権門体制論を言いだしたのだから、「両方ある」で収めていいだろうと思うし、本書の中でも、そういう結論は出かけている。本郷は、平安末期の武士が、傭兵か武装貴族かという点で迷いを見せていると井上に指摘されているが、これにしても、双方の性質があると言えばいいのではないかと思った。
 なお、現在の天皇の退位後の呼称について、「上皇」が妥当だろうと本郷が言っているところで、井上が「平成院」はないんですかと訊き、本郷が、それは案としてはなかったですね、と答えているが、これでは宇多院から光格天皇までの「院号」になってしまい、それでは諡号だからそれはないだろう、ということを本郷が説明すべきではなかったか。
 とはいえ、井上は天皇制に批判的だ、というのを私は聞いたことがあるし、本郷もそうだと思うのだが、双方とも現天皇制を是認する発言があり、ああそうしないと今の日本では人気学者として生きていくのが難しいんだなあと暗い気分にさせられた。磯田道史などはれっきとした保守派文化人だし、いわゆる日本史ブームも、高齢者を中心とした「保守」の読者、ないしテレビによく出る井上、本郷、磯田らに対する視聴者層に支えられたものなのであろう。
二、藤谷治の「新刊小説の滅亡」というのは、三年前に『ダ・ヴィンチ』に発表され、『本をめぐる物語 小説よ、永遠に』(角川文庫)に入っているが、中俣暁生に教えられて読んでたいへん面白かった。大手出版社が、以後新刊小説の単行本は刊行せず、文藝雑誌(娯楽ものを含む)は廃刊にするという近未来小説で、実際小説の現状はこんなことが起きてもおかしくない状況である。
 ただ、純文学については、そうだと思っている人も、娯楽小説の現状はまだ楽観視しているのではないか。私も藤谷も、たぶんそこがもっと厳しいのである。
 このところ、直木賞受賞作に歴史小説がない。架空の人物を主人公にした時代小説ならあるが、実在の人物を描いた歴史小説がないのだ。近代になって、日本では数多くの歴史小説が書かれた。西洋では例を見ない数で、吉川英治司馬遼太郎ら花形スター作家を輩出した。だが歴史上の人物の、描けば売れるところはあらかた描き尽されてしまったのだ。私も歴史小説を書くから、いろいろ調べたが、書いても売れない人物しか残っておらず、そういう人物も描かれて、現に売れていない、というのが現状である。和田竜の『村上海賊の娘』のように、架空の漫画の原作めいたヒロインを、史実で固めてようやく売れるという状態である。
 現代小説は、この三十年ほど女性作家の活躍が目立ったが、二十年ほど前に、私は藤堂志津子の『昔の恋人』などを読んで、女の性欲が描かれている、というので高い評価をしたのだが、その後女性作家による女の性欲ものがはやってしまい、今では手垢のついた題材になってしまった。そのころ天童荒太の『永遠の仔』が子供の性的虐待を描いてベストセラーになっていたが、その後世界的に、小説でも映画でもこの題材がやたらと扱われるようになり、これも飽きのくるものになってしまった。
 おそらく藤谷も、娯楽小説ももう無理なところへ来ている、と思っているのだろう。世界的に見ても、純文学はSFや推理小説の力を借りて延命をはかっているし、しかしそれらが、二十世紀前半までの「小説」と同じように古典として残るとは思えないのである。
三、先般来の『新潮45』休刊にいたる事件そのものには、私は触れないつもりでいた。それについて触れるにはもうちょっと長く書かなければならないからだ。だが、当該事件の論題となった「LGBT」とは別に、高橋源一郎が『新潮』十一月号に「「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」を寄稿したのには触れざるを得ない。高橋は、一方で文藝評論家である小川が、一方で安倍政権ヨイショの「右派」論客であるということを二重人格的にとらえ、同情しつつ揶揄している。『新潮45』に書かせておいて突き放し、『新潮』で批判させるというのもさることながら、私は『新潮45』四月号に載った村上政俊「「恋愛」でいいのか 皇族の結婚」をどうにかしないといけないと考えていたからである。これは秋篠宮眞子の結婚が暗礁に乗り上げたのに乗じて書かれたもので、ほかに『婦人公論』には工藤美代子の、皇族特別視論考が載っていたのだが、高橋源一郎といえば、『新潮』に「ヒロヒト」なる昭和天皇礼賛的な小説を断続連載している天皇好き、天皇制是認者である。しかして先の村上論文は、まさに皇族に人権は要らないと豪語したものであって、LGBTの人権が気になる人たちは、こうして白昼公然と天皇・皇族に人権は要らないと宣明されることに異常なものを感じないのか、と思うからである。仮にこれを「箱の中の天皇」(『文藝』冬号)赤坂真理が書いても私は呆れたであろう。
  『週刊新潮』三月八日号の、昭和天皇を描いたピンク映画とされる「ハレンチ君主」の記事の最後で、民俗派右翼の蜷川正大の言葉が引用されている。「ストーリーを聞く限り、映画の製作側は昭和天皇の戦後のご巡幸のことを念頭に置いているのでしょう。少し聞いただけでもそう思うくらいだから、不敬な映画かなという気がします。我々一般庶民であれば、名誉毀損とか肖像権侵害とかで抗議が出来ますが、皇族の方には全く反論権がない。こういう映画を作ること自体、許されざることだと思います」。死者の名誉毀損は、事実に反していれば成り立つはずだが、そもそもそんな「人権」のない人々がいること自体問題ではないのか。右翼としては、天皇・皇族に人権がなくてもいいと考えているのだろうが、国民はそのことを考えていない。マスコミが考えさせないようにしているからである。高橋や赤坂や、「保守」を名のる言論人は、この問いに答えるべきであろう。

凍雲篩雪

 坂東玉三郎と文学

一、一九九四年五月四日と五日、NHKの教育テレビで、三浦雅士坂東玉三郎の対談番組があった。その中で玉三郎が、舞踊の際の清元などについて「踊りのための音楽の歌詞でしかないじゃないですか」と言い、三浦がうんうんとうなずいていたことがあった。私はその言葉の意味がよく分からなかったのだが、六年ほど前のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の玉三郎の会を観て、はじめて意味が分かった。
 以下は世間的には常識なのかもしれないが、そこで玉三郎は、いつまで踊れるか、などと踊りの話ばかりしており、いい音楽が出て来たら、とも言っていた。さらに「わたし、文学って全然ダメで」などとも言っていたが、なるほど、新劇の俳優ならともかく、伝統藝能の人で、自分が演じている内容には関心がない、という人がいるのは知っている。さる有名な能のシテ方が、中入りで作りものの中に入って、アイの狂言が話しているのにふと耳を傾けて、初めてこれがどういう話なのか知った、という話もある。
 しかし玉三郎は、映画の監督もしているし、演出もしている。だがそれらは「踊り」を主とした「従」だったのであり、清元の歌詞など、踊りを支える音楽の付属品であって、中身などどうでもいいのだろう。
 玉三郎は、もちろん演技が下手なわけではない。サラリと口語風に言うのがうまいとも言える。だがそれはたぶんその時々の場面設定に応じて出るもので、新劇人が考えているようなせりふの技術というものはあるまい。私は歌舞伎を「筋」で観てしまう、歌舞伎に向かない人間だが、これまで玉三郎に対して感じていた違和感の正体が分かった気がした。
二、『子午線 Vol.6 原理・形態・批評』(書肆子午線)というのを買ったのは、綿野恵太の「石牟礼道子と憐れみの天皇制」が目当てで、綿野の論考は面白かった。しかし中島一夫の「江藤淳の共和制プラス・ワン」はどうも妙だ。中島は、江藤の『天皇とその時代』(PHP研究所、一九八九)を「天皇礼賛の書ではない」と書いているが、私にはまるっきりの、天皇の代替わりにおいて江藤が乱発した天皇礼賛の書に見えるのだが、どういうわけか。中島は江藤が、日本国憲法第一条について、「しかし、この第一条を即物的に読めばはっきりしていることは、いわゆる「主権在民」です。「主権在民」という以上は、これはなによりもまず共和政体を規定した条項と読める」と語ったのを引いている。しかし、「共和制」といえば一般には君主がいない国の形態を言うので、江藤は何か錯乱しており、まるで宮澤俊義のような憲法解釈をほどこしていき、中島はそれに沿って江藤を論じて行く。しかし「主権在民」と言っても共和制とは限らない、立憲君主制というのも主権在民で、江藤は民主制と共和制を混同している。江藤は天皇制を「共和制プラス・ワン」だなどと言うのだが、そんなことを言ったらすべての立憲君主国は「共和制プラス・ワン」であって、別段ことあげするには足りない。江藤は、昭和天皇に対しては敬愛の念篤かったが、今の天皇に対しては「逸民」などと自称するほどに、まあ好いてはいなかった。それに晩年の江藤は、天皇などどうでもよくなるくらい反米に熱中していた。中島の論考は、江藤淳の過大評価だろう。
 また安里ミゲルの詩とされる長い文章の中で、私の『頭の悪い日本語』(新潮新書)が取り上げられているのだが、安里は別の文脈で私の名を出しつつ、この書は引用しつつも私の名を逸しており、著作権上適性かどうか疑わしい。安里は「鮮人・満人」という項目で私が、差別語だと思われているかもしれないが、日本人は「日人」とされていた、と書いたのを取り上げて、日人と呼んでいたのは他国民であり、そう書いていない著者を罵倒しているが、私は日本人による用例を見て書いたのである。なぜ安里が日本人は使わないと思いこんだのか知らないが、調査不十分で人を罵倒するものではない。安里の履歴を見ると「チュチェ58年生まれ」とあり、これは金日成の生年を基準とするチュチェ暦だから、金氏王朝の始祖を崇拝しているのか、と驚いて、スガ秀実氏に訊いてみたら、アイロニーだと思う、と言っていた。私もそう願いたい。
三、スティーヴィン・ピンカーの『エンライトンメント・ナウ』という本がベストセラーになっているらしい。いずれ邦訳も出るのだろう。かねてピンカーは、二十世紀が戦争の世紀だというのは錯誤だとして、人口あたりの殺害者数は古代から近代にいたるまで減り続けており、二十世紀もその線上にあると述べてきた。そして、暴力や差別は次第に減っているのであるとして、楽天的な人類の未来像を提示している。アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』とは逆の見方である。
 私はおおむねピンカーの主張に同意するのだが、果してピンカーは「退屈」という要素をどう考えているのだろうという点が気になる。人間というのは退屈する生き物だから、啓蒙によって暴力や差別がなくなっていくと、退屈を紛らすものがなくなるのではないかというのが、私が『退屈論』(河出文庫)で説いたところで、これに対しては未だに誰からもしかるべき回答を得られていない。
四、江戸町奉行を務めた根岸肥前守の随筆集『耳嚢』は、岩波文庫にも収められ、そのうち怪談めいたものを集めた本も出ているが、詳細な解説はないようだ。その巻之二に入っている「義は命より重き事」が気になる。両国橋の上で袖乞いをしていた浪人は、四、五歳の子供を連れており、ある日もらいがなかったので、橋の上の餅売りに、餅を恵んでくれないかと頼んだところ断られ、困惑していると、かたわらにいた非人がカネを恵んでくれ、感謝してそのカネで餅を買って子供に食べさせ、自分も食べたのち、いきなり子供とともに川から身を投げてしまったという話である。
 岩波文庫にも平凡社ライブラリーにも特段の内容解説はないのだが、これは「非人」にカネを恵まれたのを武士の屈辱としての身投げではないだろうか。だとすればもちろん差別説話である。『耳嚢』には、えた、非人の出てくる話はいくつかあり、根岸肥前守が上記逸話に「義は命より重き事」と題したことから、根岸肥前守はむしろ非人に恵まれて身を投げたことをよしとしているのであろう。
 古典にはしばしばこうした差別を当然視したものが散見される。『今昔物語集』で、被差別民だったのであろう「乞丐」に強姦されそうになった女が、自分の子供を置き去りにして逃げたのが称賛されているのなどもその類である。歴史学者や古典学者も、面倒を恐れてこういうのを取上げない傾向があるが、もっと議論の俎上にすべきものだろう。

 

 

とちおとめのババロア

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